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エデンの園の蛇〈比喩〉

言霊学の観点から聖書を読み解く。
参考書籍から一部を以下に抜粋する。

言霊百神〔新装版〕古事記解義  (「小笠原孝次・言霊学」シリーズ)
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縄とは右の様に言葉が生まれ出る様相を象ったもので、或いはまた言葉そのものを意味し、その言葉の原理を直ちに社会に適用して行く道を「結縄の政(けつじょうのまつりごと)」と古代の儒教では呼んでいた。此の縄に関連してくちなわ(口縄)と云う言葉がある。蛇にたとえられている。同じく人間の言葉であっても先天を根底としてその正系の順序を経て生まれて来る真言麻邇(しんごんまに)ではなく、天之真奈井(あめのまない)の源から発せられる真奈ではなくして、その中途の口辺から発せられる如き、すなわちその淵源との連絡関連の経路と自覚が断然している言葉を口縄と云う。すなわち口辺で糾(あざな)われる言葉のことである。先天から発する正系の言語は全世界の全人類を通じて唯だ一種類であるが、中途から生まれた言語は各民族、各国家で多種多様である。口縄の言葉は云わば神界から発せられず、霊界から出て来る言葉と云ってよい。
キリスト教ではこの仮初め言葉である蛇(くちなわ)にイヴが誘惑され、そのイヴがアダムを誘って智慧(知識)の樹の実を食ったために、エデンから放逐されて、生命の樹の葉の道すなわち神の言葉の道を断たれたと説かれる。それは人類が素直な幼児の心のままで天与の麻邇すなわち神の口より出ずる言葉であるマナによって生きる生活から離れたことであり、宇宙の全局先天に立脚する言葉を忘れたことであり、途中から部分的な所から出て来て、言葉自体に根拠と原理のない断片的な言葉を用いることである。智慧の樹の実体は経験であり、智慧の樹の実とは各自の経験を夫々(それぞれ)勝手な方法で表現した原理のない言語のことである。
神道大祓(しんとうおおはらひ)では先天に則った言葉の道理を破壊する「畔放ち(あなはち)、溝埋め(みぞうめ)」等の須佐之男命(すさのをのみこと)の暴挙を称して天津罪(あまつつみ)と云う。アダム、イヴが智慧の樹の実を食って生命の樹の葉の道から遠ざけられた事はすなわち此の神道の天津罪に当る。これがキリスト教の云う人類の原罪であって、此の原罪を人類の上に仕組んだのは人類の言葉を乱した事を方便手段として科学文明を創造することを計画したユダヤの神エホバの経綸である。

言霊百神〔新装版〕古事記解義 P161