エドガー・ケイシーによると
ヨブは、イエスの前世の一人である。
ここで神の子イエスは、何度も転生していたことがわかる。
さらに奇跡講座の教えていることを乗せて考察すると
ヨブ記は、自我について語っているように見える。
ヨブは散々な目に遭い、
外野があれこれ告げる声に耳を傾けてしまう
これは、聖霊の声では無く自我の声を聞いている様
マーヤに取り込まれた思考?
自動思考といったところなのだろうか?
だが、自我の声を聞いた後
ヨブは、その誤った想念を聖霊のもとに運んでいる
赦しのレッスンを伝える物語でもある。
内なる聖戦が繰り広げられている。
そして神なる主の独演が始まり
「わたしに抗する者は誰なのだ?」と問う
まさにヨブも、この答えを自ら導き出せていなかった。
ヨブはその後転生し、おそらく次の生まれ変わりでイエスへと転生し、あの答えを自ら導き出すことができたのだろう。
そして神と一つとなった...
…ではなかろうか↑と、私は考察する
いやぁ面白い!
毎度、観点が増えることによって
聖書がより深くなっていく
ヨブ記は、解脱を目指す人誰しもが通る試練を語ってもいる。
ある意味、聖書は我々のストーリー。
ヨブのように試練に勝利していくようにと
我々に教えている
ヨブ記のギリシア語訳は面白い!
七十人訳ギリシア語聖書 ヨブ記
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