同じ被爆地でも、広島と長崎は同列ではないよ、というお話。


夏の訪れは山笠で、そして盛夏は原爆忌で。

というのが、大体の北部九州民のルーティンなのだが、どうも今回は様相が違っているようですね。

額面通りに受け取るなら、「いやー、うちは主要国首脳会議の警護実績あって要人警護のノウハウもできた広島県警さんと違って貧乏県警なんで、何かあった時責任取りきれないんですわ。まして世界情勢きな臭いですし、うちの国ってインバウンドと称して大量に外国人来てますんで、テロリストかどうかもわかりませんし。奈良県警の二の舞いは嫌ですし、すいませんが今回ばかりは勘弁して下さいよ~」

と、長崎県警の偉い人が言ったかどうかは知らないが、要人警護の金もノウハウもない地方の県警にハマスとかヒズボラとかイランの革命防衛隊の相手なんて到底できませんから穏当に君子危うきに近寄らず的対応を取ろうとした。

これだけなら「金とノウハウケチる原因の財務省はやっぱり朝敵なんだね(ガンギマリ)」となるのだが、これに過剰反応したのが当のイスラエル、というより欧米先進国だった。

「ロシアと一緒にすんな」
「イスラエルがダメで何でイスラム諸国はオッケーなんだよ」

というのが主な理由ですが、個人的にはイスラエル云々というのは基本的にこじつけだと考えています。

現に、去年の広島主要国首脳会議では、G7首脳が揃って広島平和記念公園で献花し、原爆資料館を視察しているんですよね。
(withウクライナの全裸中年男性)

更に、ずーっとこの二都市の原爆忌の出席者を比較すると、大体広島は閣僚級か大使級なのに対して、長崎は良くて大使級か公使級ってパターンで、「おい二回目だからって長崎を軽視してんじゃねーぞ」と思っていたのですが、この一件で考えを改めた次第です。

本当は、長崎には行きたくないんじゃないのか?と。


長崎原爆忌を「軽視している」のではなく「軽視せざるをえない」欧米先進国の理由

では、広島と長崎の違いは何なのか?

よく左翼系市民団体の自己表現の場になる広島を「怒りの広島」などと表現しますが、それに対して「祈りの長崎」なんて対比で使われます。

広島と長崎の違い、それはズバリ「キリスト教信者の割合」です。

安芸門徒なんて言われるくらい、広島は浄土真宗本願寺派が多数派の地域だそうですが、長崎は世界遺産になるくらいキリスト教の教会、しかもカトリック教会の数が多いです。
当然ですが信徒数も多い、日本全体では人口の0.3%くらいだそうですが、長崎県だけだと人口約130万人のうち4.3%がカトリック教徒だそうです。

つまり、キリスト教国であるアメリカ合衆国で開発製造された、1945年8月9日午前11時2分に長崎市浦上地区上空で炸裂した一発のプルトニウム型原子爆弾は、多数の日本人カトリック信徒を殺傷した…人種民族は違えど、同じ神を信じる同胞を多数殺したのです。

「いやアメリカってプロテスタントだろ、カトリックじゃないだろ」という方もいらっしゃいますが、アメリカって移民の国でもあります。カトリックを信仰するイタリア系やらアイルランド系の移民も相当数いますし、何よりアメリカ合衆国の大統領宣誓って聖書を片手において行うんですよ。それくらい、米国社会において宗教というのは重要な位置を占めている訳です。

いまでこそ非人道性が広く知れ渡った核兵器ですが、キリスト教圏の欧米先進国からすれば広島は「異教徒を焼く為だった」という弁解が通じます。(それでも非人道性は免れないが、あっちのガンギマリファンダメンタリスト達にはこの言い訳は強力です。)

ですが、長崎ではその言い訳が全く通用しない。被爆者の遺品にはロザリオとかありますし、被爆マリア像というのもあります。

同じ宗の信徒を残虐に焼き殺した罪は消えません。

そこに生まれるのが、国教と国益の矛盾です。大袈裟にいうなら、国家としてのアイデンティティの矛盾を炙り出してしまうのです。

年に一度訪れる、宗教的良心の呵責に苛まれるイベント。
しかも行われるのが極東の異教徒国家(まがりなりにもG7の一員でハードパワーの部分では落ち目だが大国、ソフトパワーでは超大国)ですからね、本音はシカト一択だが粗略には扱えない…

彼らの内心はこんな所でしょう。


本朝唯一無二の独自性に気付いていないのは日本人自身かも?

だからといって、これを口実にしてイスラエルと欧米先進国を攻撃している日本人リベラル左翼たちに同調するつもりは一切ありません。むしろ、連中の偽善っぷりと、「所詮自分が気持ち良くなりたい為だけに様々な事象を利用するだけ利用し、価値がなくなったらポイ捨て」という日本人リベラル左翼の生態が繰り返されており、「あぁあの人達の通常運転だな」という感想しかないというのが実情です。

むしろ情けないのは、「現実主義」を口実に過度の従米姿勢を見せているビジネス右翼の仮面を被ったアンチリベラルな方々です。

彼らはやたら「欧米先進国からの見られ方」は気にしますが、それ以外の国からの見られ方というのは気にしていないように見られます。
いち地方自治体の首長とはいえ、「異教徒◯すべし、慈悲はない」と異教徒スレイヤーサン化しているイスラエルにチクリとやった事は、特に中東諸国にとっては「日本やるじゃないか」という評価になります。(但し中露枢軸国側、てめーらはダメだ)

「我が国において真の友人とは、時に苦言を呈して友人の行き過ぎを窘める事ができる存在の事です」

そういって、堂々と行き過ぎを窘めればよいのです。
何よりも、我が国の国際政治でのポジショニングは意図的なのかそうでないのかはさておき結構上手くいっています。

  1. G7唯一の有色人種国家にして非キリスト教国

  2. 唯一無二の単一王朝による永続的君主制、皇室外交の絶大な威力

  3. 21世紀の二大超大国である米中の狭間に位置し、緩衝材となる地勢(なお対露姿勢は最も強硬)

  4. 先進国で唯一ポリティカルコレクトネスの暴威と距離をとっている

  5. それ故に比較的表現の自由への制限が緩い

  6. 基本的には欧米先進国と同一歩調でありながら、イスラム教国にもチャンネルを保有している。

  7. 島国故に軍事的侵略が困難。全盛期モンゴルウルスも、ハプスブルク朝スペイン帝国も断念した。(逆に言うと物量チート大国の米帝が異常なだけ)

パッと思いついただけでもこれだけの強みがある。案外捨てたものじゃないんですよね、本朝は。


万国の津梁となりて、二度と惨禍が繰り返されぬように。
そう祈りつつ、今回の投稿の締めとさせていただきます。

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