モミリアーノ計画をめぐる夢想 (1) 類型学


「モミリアーノ計画」は現在のところ絶賛進行中ですが、その作業にあたるなかで個人的に考えていることをメモ書きします。

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ルネサンス期、なかでもルネサンス後期にあたる16世紀から17世紀初頭の文化は、古代でもヘレニズム期のアレクサンドリアで栄えたようなタイプの学問の影響を大きく受けているように思えます。さまざまな事物の細部に関心をもち、多くのデータを収集して、分類・記述することが流行するのです。探究の対象となるのは、もちろん物体的なモノだけではなく、異文化の慣習や仕組みなども含まれます。

ヘレニズム世界では、アリストテレスの『動物誌』などを手本に彼の学派であるペリパテトス派を中心にして、分類・記述する「類型学」的なアプローチが好まれます。モミリアーノは、それを「体系的」な手法と呼びますが、百科全書的といっても良いかも知れません。

「 普遍」と「個別」という言い方をすれば、「個別」に人々の関心が向かうのです。ルネサンス後期にあたる16世紀には、地理的な拡大を背景にして、ヨーロッパに新旧世界のさまざまな文物が流入するわけですが、そうした個々の事物を類型学的に分類・記述する博物学・自然誌がこの時代に流行するのも容易に理解されるかと思います。まさにカルダーノによる「夢」についての類型学も、この流れにあるといって良いでしょう。

その後に登場するデカルトは、たしかに個々の事物の類型よりも普遍的なものを希求したのでしょう。だから中世の哲学者たちから、ルネサンス期を飛ばして、一気にデカルトにつなげたくなる人々の気持ちも理解しないではないですが、やはりそれは歴史の現実を無視していると思います。

アリストテレスの『動物誌』をはじめとする類型学的な伝統が、本格的にヨーロッパに紹介されて、人々が試行錯誤をはじめるが、ルネサンス期なのです。たしかに12世紀から13世紀にかけて百科全書的な試みがなされるのも事実ですが、中世のスコラ学がこの伝統になじんで、学問の基礎においたのかと問われれば、疑問符をつけざるをえないでしょう。

近代科学の誕生には、圧倒的なデータの収集と解析という作業が不可欠で、この領域においてルネサンスの類型学的な作業の導入と流行が大きなインパクトをもつわけです。18世紀に植物学や動物学などが隆盛をきわめるのも、ルネサンス期の準備作業がなければ成立しません。

もし近代以降に哲学の立場が科学にたいして相対的に弱くなっていくのだとしたら、この類型学的な次元をうまく取りこめなかったところに、ひとつの原因があるのではないでしょうか?

しかし類型学的な作業も、もともとは「哲学者」と現在では呼ばれる人々によって進められたことも忘れてはならないでしょう。ちなみにモミリアーノは、まさに近現代の社会学や人類学がこの「体系的」な手法を吸収して誕生すると説明しています。

人文諸学の歴史について、いろいろな問題を提起しているモミリアーノの本は、ある意味でフーコーの『言葉と物』と同じくらいか、それ以上の潜在的なインパクトがあり、多くの人に読まれるべきだと思います。モミリアーノ計画では、彼の主著の邦訳版を勁草書房のBH叢書の一冊として2020年内に出版すべく、鋭意作業中です。多くの方のご声援が励みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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