タンドリーチキンとその歴史
数年前にラジャスタンの砂漠に穴を掘りに行ったことがる。
深さ1メートルくらいの穴を掘りそこに熱々に焼いた炭を入れる。今朝捌いたばかりの子ヤギをギー、ニンニク、生姜、チャートマサラでマリネしてそれを数枚のチャパティでくるみ、さらにバナナの葉で包み、それをひもで縛ってから熱々の炭の上にのせ、また真っ赤な炭でヤギ肉をかぶせる。砂漠の砂を優しくその上にかぶせていき、穴を塞いでいく。
それから待つこと3、4時間。ゆっくりと穴を掘っていく。「あったぞー!」という歓喜の声とともに真っ黒になったヤギ肉であろうものが掘り出された。熱々の黒い物体を銀色の皿の上にのせ、紐を解き、焦げたバナナリーフ、香ばしいチャパティを剥がしていくと中には柔らかく、しっかりと火が入ったヤギ肉が登場した。手で少しちぎって食べてみる。
言葉にならないほど美味しかった。
砂漠まで一緒にきたラクダ達が羨ましそうにみている横で、最高の肉を味わったのである。
この調理方法というのが、はるか昔から砂漠の民に伝わる調理方法なのである。そして定かではないが、今日のインド料理のエース「タンドリーチキン」のルーツなのではないかと思っている。
タンドール料理を研究しに砂漠に穴を掘りに行ったのだ。
タンドールとは土でできた釣鐘式の窯である。インド料理屋さんなどにいくとそれでナンやタンドリーチキンを焼いているのをよく見かける。タンドール窯で焼くからタンドリーチキンと呼ばれている。歴史を遡ると約5,000年前インダス文明の時代、モヘンジョ=ダロの遺跡に鶏肉をタンドールのようなもので焼いた痕跡があるそう。サンスクリットの文献に寄るとマスタードシードがメインで肉をマリネするのには使われたと書いてある。窯で調理する手法はその後、中東、南アジア、中央アジア、東南アジアと広く伝わったそうで「タンドール」の語源となっている「tinūru(ティヌール)」はメソポタミアで話されていたアッカド語で土(窯)と火を組み合わせた言葉であるらしい。ウズベキスタンでは Tandyr イランでは Tanoor アルメニアでは Tonir アゼルバイジャンでは Tandir と語源が同じものと思われる言葉が各地で伝わっている。
元来は土を掘り、それをオーブンのように使っていたが、インド料理屋さんでよくみる釣鐘式のような形に作らせたのはムガール帝国4代目皇帝ジャハーンギールだと言われている。彼はどこに旅行するときもシェフ達に可動式のタンドールも一緒に持たせ、各地でタンドール料理を楽しんだのであろう。
インドでタンドール料理を広く庶民に伝えるきっかけを作ったのはシーク教の創立者グル・ナーナクがカーストなどの壁を取り払おうと「sanjha chulha」と呼ばれるタンドールのような地域共有の窯を各地に作らせたのがきっかけだと言われている。サンジャ・チュルハ(地域窯)は日本でいうならば井戸端会議のような役割を担い、地域の大事な交流の場へと発展して行ったそうである。火を囲み様々な料理がそこから生み出されていったのであろう。
現在のタンドーリチキンの人気の立役者としてはデリーのモティ・マハルが有名である。インド独立前1940年に現在のパキスタンのペシャワールでタンドール料理を提供する店を構えていたが1947年、インド独立とともにシーク教徒であった店主はデリーに移住してタンドール料理店を開いた。初代インド首相のネルーや時の重鎮らに気に入られモティマハルのタンドリーチキンは世界中に広まって行った。
ヨーグルトとスパイスで付け込まれた鶏肉はつける時間が長ければ長いほど美味しいと言われている。タンドールの歴史は時々に魅力的なスパイスを加えながら長く長く付け込まれてきたからこそ、こんなにも美味しいのであろう。