瞑想を「あえて」しないこと。

人形浄瑠璃の先生に練習の初日くらいに「せっかち」と言われて一瞬ドキッとしたことがありました。

しいたけ占いでもてんびん座について書いてあるけれど、私の場合も、自分の実感としては良くも悪くも人に「誤解」されていることが普通の状態です。

よくある誤解の一つが「のろい」と思われることで、子供のころから家族親戚にせかされてきました。でも自分では相当せっかちだと感じています。

人形浄瑠璃の先生がどうやって見抜いたのかわかりませんが、基本なんでもはしょって、ショートカット(近道)を通ってゴールまで直線で突き進むのが私のやり方と自覚しています。

だからなのか、瞑想ができません。バクティヨガでは「ジャパ」という数珠をつかってマントラを唱えることが命綱のようなものなのですが、私の場合は努力はしたけど定着しなかったです。

マントラはたくさん唱えると良い、と思っている人がとても多いですが、私のバクティヨガの先生はそうは言いませんでした。「量より質」と言われていました。

私の場合は限りなくゼロに近いので先生にも申し訳ないと思っています。いけないな~と思いつつも、私の興味は別の方向へ向かっていっているのです。「質」の方向です。

つまり、「なぜ?」「その意味は?」「私が生きていることと何の関係があるの?」という部分です。だから無理に瞑想することは「あえて」しないで、ありのままの私として生活しながら、それを一人で問い続けてきました。

が、今度4月から5月にかけてバクティヨガの仲間が5人ほど海外からうちに来ることになっているので、それまでに少しでも何かアウトプットをしていきたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?