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信仰生活は模倣を否定す

 先人の仏教者の信仰をお手本として、自らが信仰生活を送ることは、彼等の信仰生活をそのまま真似ることでは断じてない。彼等に倣うとは、どこまでもどこまでも自分しか歩めぬ独自の信仰生活を送ることである。


真宗の親鸞上人の言葉

たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。

『歎異抄』

 親鸞上人は『歎異抄』の中で、上記のように「偏依法然」を標榜しているにもかかわらず、実際親鸞その人の信仰生活は、師である法然上人の持戒堅固による念仏の生活に比して、肉食妻帯による念仏の生活を送っている。
では、はたして両者は正反対の生活であるが、親鸞上人は法然上人に反しているのであろうか。

法然上人とその門下生の行状

親鸞上人以外にも法然上人門下生は多くいる。
代表的な人物を上げると、
聖光(浄土宗第二祖)
聖覚(天台宗)
親鸞(真宗宗祖)
教阿(元強盗・罪人)

 

法然上人とその門下生の信仰や生き方を管見すると以下のように考えられる。
法然上人→精進独立の念仏・持戒堅固・信行一致・生涯不犯
聖光→精進独立の念仏・持戒堅固・行中心 ※法然上人に極めて近い行状
聖覚→家族倶称の念仏・妻子・信心強調
親鸞→非僧非俗の同行在家的念仏・肉食妻帯・信心強調
教阿→悪人独立的常念仏・罪人・行中心・晩年まで盗み癖

※各々信仰や生き方を異にしているように見られるが、念仏中心の生活である点においては全員が同列の信仰を持つ点が最重要 

法然上人は云う、

 この世の過ごし方は、念仏を称えやすいようにして過ごすべきです。念仏の妨げになることは厭い捨てるべきです。
 同じ場所に留まって称えることができなければ、行脚して称えなさい。行脚して称えることができなければ、同じ場所に留まって称えなさい。出家して称えることができなければ、在家者となって称えなさい。在家者として称えることができなければ、出家者として称えなさい。
 一人こもって称えることができなければ、仲間と共に称えなさい。仲間と共に称えることができなければ、一人こもって称えなさい。生計が立たないために称えることができなければ、他人に支えられて称えなさい。他人に支えられて称えることができなければ。自活して称えなさい。
 妻子も一族や家来も、自分が支えられて念仏を称えるためです。念仏の障害になるならば、決して持つべきではありません。領地も、念仏の助けとなるならば大切です。妨げになるならば、持つべきではありません。
これをまとめて言うならば、自身が平穏無事で、念仏による往生を遂げるためには、何事もすべて念仏の助けであります。
 たとえ三悪道に舞い戻らねばならない悪業を犯す身であっても、捨て難いので、心にかけて、守り養うものです。ましてや、往生が叶う念仏を称える身なのですから、ぜひとも守り養い、大切にすべきであります。
念仏の助けとすることなく、この世を楽しむために我が身を愛することは、三悪道へ堕ちる行為となります。極楽往生のために自身を愛することは、往生の助けとなるのです。

『法然上人行状絵図』浄土宗総合研究所〔編訳〕

 要するに、法然上人は弥陀一仏に対する一心専念の「南無阿弥陀仏」という信仰そのものを第一義として保持していれば、それに付随する生活スタイルや表現方法は枝葉末節のことであるというわけである。
 したがって、法然上人とその門下生を外側から眺めれば全く相違するように見えるが、信仰そのものにおいては両者は全く同一の信仰である。 

 私たちがいかに法然上人の法語や持戒の態度を習おうとも、いかに聖覚法印や親鸞上人の妻帯在家的生活を取り入れようとも、念仏中心の信仰がなかったならば、それは先師のスタイルや表現を被った虚偽の信仰生活になる。 そこに弥陀一仏に対する一心専念の「南無阿弥陀仏」という信仰が第一義になっていなければ、彼等とは異なった信仰なのである。したがって、第一義によって私自身の道を歩むことに、法然上人や親鸞上人との接触があり、ここに初めて彼等と同じ信仰であるといえる。

真宗大谷派の僧・暁烏敏師

浄土真宗大谷派の暁烏敏上人が信仰における安心は模倣から脱却することであると云っている。

 私は常に思うています。私は釈尊の生活のようにしようとも思わず、親鸞聖人の生活のように、ソクラテスの生活のように、トルストイの生活のように、清沢先生の生活のようにしようとは思わない。私はただ私の生活を、私の道行けばそれでよいと思うています。私は先生を模倣しようと思うてもだめでもあろうが、模倣しようと思うこともありません。先生は先生、敏は敏であります。この一人の道ということに、先生と私との接触があり親鸞聖人と私との接触があるのであります。私が親鸞聖人にうれしう思いますのは、聖人が釈尊の生活にも、法然上人の生活にも、聖徳太子の生活にも習わずして、自分御一人の道を進ませられたという点にあるのであります。
 

『更生の前後』暁烏敏 208~209頁

 私は親鸞聖人のような生活をしようとする念から出でて私自身の生活をやり、聖人のような信念を得ようとする念を去って、私自身の思想を発見するように、なった時初めて、真宗の一員となり、絶対の第一人者たる聖人の門弟として恥ずかしらぬ絶対の第一人者となることが、できるのであると思うています。
 宗教家になろうと思うて信念を求めた私は、私自身の概念にあった宗教家の生活にはまって行けないので、久しい間苦しめられました。明恵上人も「あるべきよう」との教訓などを結構なことと思い、宗教家は宗教家のあるべきようにならねばならぬと思うて、知らず識らず律法的生活をやろうとして、概念の中に生きた自分を幽閉しようと勉めていました。そうして自分は真宗の僧侶であるからこうでなければならぬ、ああもしなければならぬと思いました。そうして聖人の思想の室に入ろうとし、聖人の生活を模倣し、聖人の信念にいたろうと思うていました。
 処が、私自身の生活は、その生きたままでは聖人の信念、思想、生活の獄舎に、かしこまっておることができなくなって、久しい間苦しみました。苦しんだ結果宗教家としての資格のない自分であると知られ、真宗の坊主ともなられぬ自分であると気付きました。落第者ならずもの、私は宗教家にもなれぬ。親鸞聖人のようにもなれぬ。近くは清沢先生のようにもなれぬ、多田君のようにもなれぬ、佐々木君のようにもなれぬ。畢竟私は私より外にどうにもなれぬ奴であるとわかりました。
(中略)
私はいづれの概念的生活にもはまることができないで、自分の生命の発するままに突進するようになりました。私は私自身の生活をやります。伝習や概念の生活の獄舎を破って、赤裸々の私が生まれでました。信念も、思想も、道徳も私一人のものです。如来というも、念仏というも、私一人のものであります。聖人の生活にも、信念にも、道徳にも、しそうにも束縛せられずして、解放せられたる絶対の第一人として私が立つことができるようになって、ここに初めて、自分は親鸞である、自分は法然であると名乗ることができます、浄土真宗は私一人の宗教であります。仏教は私一人の仏教であります。

『更生の前後』暁烏敏 232~235頁

 先人の仏教者が信仰を確立できた理由を親鸞上人を例にとって、上人その人が「釈尊の生活にも、法然上人の生活にも、聖徳太子の生活にも習わずして、自分御一人の道を進ませられた」ところにあるという。釈尊・法然上人・聖徳太子に倣うことは、彼らが誰の真似もしなかったことに倣うことであり、それは自分が誰の真似もせず自らが「如来というも、念仏というも、私一人のもの」という自覚のもとに信仰や生き方があること大切で、それが結果的に先人にならうことであるという。そうのようにすれば、先人の仏教者と同じ境地を体現できるのであるとする。

ギタリストのウェイン・クランツ

 音楽の世界でも同じようなことを説く方がいる。ギタリストのウェイン・クランツ氏である。音楽と宗教は関係ないように思えるが、暁烏上人とほぼ同様のことを云っているので、世界観はちがうかもしれないが次の言葉は信仰上にも参考になる。
 クランツ氏のインタビューを伺うと、

―あなたのギターのスタイルは非常にユニークですが、どうやって身につけたのでしょうか?
Wayne: 演奏する誰もが自分自身のスタイルを持っているものだ。多くの人は他の人のスタイルで演奏することに集中してしまうので、それを発展させないだけなんだ。だから自分自身のものがどんなものなのか気付かずにいる。僕は自分自身のものを発見することに没頭して、それをできる限りのところまで持ってきたんだ。全ての人がそうする必要があるというわけじゃない。多くの偉大な音楽はそんなことなしで生まれている。でも僕にとっては他に選択肢がなかったということだ。自分自身のやり方でいくか、それともやめてしまうかということだ。
―あなたが若いこと好きだったギタリストは誰だったのでしょうか? 誰からもっとも影響を受けましたか?
Wayne: 最初のころはギターは聴いていなかった。聴いていたのはバンドで、ビートルズ、ツェッペリン、タル(ジェスロ・タル)や70年代初頭のサンフランシスコのファンクやソウルのバンドだ。僕がジャズに入り始めたころ、ギタリストを聴きだした。ベンソン、マクラフリン、パス、ホールなどだ。バークリーに通っていたことは、グッドリック、メセニー、スコフィールド、スターン、フリゼルなどを聴いた。でも結局ギターを聴くのはやめてしまった。
ジム・ホールとパット・メセニーからはしばらくの間、大きな影響を受けた。マイク・スターンもだ。でも結局のところ全てやめてしまった。彼らがそうであったようにね。それが彼らが僕に教えてくれた究極のレッスンだった。彼らのようになるには、彼らの真似をしてはいけないということだ。

http://jazzfusion.com/int2006/krantz/krantz06int.htm

 クランツ氏の云っていることは暁烏上人と同じである。始めは多くの先人ギタリストに倣う方法を取っていたが、それでは先人と同じ境界に入ることはできないというのである。暁烏上人の言葉を借りれば、「音楽というも、ギターというも、私一人のもの」である。
 最後の言葉にクランツ氏の言いたいことが凝縮されている。
「彼らのようになるには、彼らの真似をしてはいけないということだ。」

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