歩くということ
「歩く」、生きてるだけで勝手に行っている動作の1つ。でも、生まれつきによってはそんな動作は行えなかったり、はたまた必要なかったり。
自分はたまたま歩けるタイプの生まれだったので知らないうちにできるようになって、知らないうちに両親などにできるようになったことを褒められていたのだと思う。
このnoteを書き始める時見出しをつけようとアルバムを開いた。そこでも無意識が働いている。
自分は映ってないように、好きな人が映っているものを選びたくなるが見せたくないから外したり。
結局海辺のものを選んだ。
けど、これは積極的な選択ではなく、あまりもの、つまり消極的な選択。
でも、この写真のおかげでタイトルが思いついて、中身も描けるようになった。
無意識。
無意識って不思議だなと思う。ウォーキングは普段意識しない「歩く」という動作をあえて有意識に持って来てその動作のために着替えたり、靴を履いて外に出たり色々な無意識の行動を積み重ねてやっとできる。けど、その行動をしている最中にも無意識の「歩く」動作が行われている。
ツラツラなんか言ってるうちに自分でもわからなくなってきたが「歩く」とこに着手するために無意識にの「歩く」繰り返すことになんだか空虚を感じた。
海辺を歩いている時、普段考えないようなことまで考えていたことを思い出す。
前に行った海のこと、その時一緒に行った人のこと。あ、また今度、前に海に行った人のこともここに残そうかな。
この海は好きな人と行きました。でも、前行った人も好きな人。別の人だし性別も違う。でも、1つ確信するのは当時、この好意は確実に似たような意味を持つ好意だったこと。
「歩く」ことについて話そうと思ったら、前の人のことを思い出しちゃうとは。不思議。
前の人っていうのはお付き合いしていたわけではない。ただ、最近、いや海に行ってから会っていないからそう表現してしまっただけ。
モヤモヤする、毎回この子のことを思い出すと心臓が締まる。
無意識にこんなようなことを歩いている間考えたり考えていなかったりした。勘弁してくれと何度思ったか。なにをされた訳でもした訳でもない。のに、こんなに頭の中を占領してくる彼女は今どこにいるんだろう。
無意識の占領。
女の子が好きな男の子ができたら花の名前を教えるといい。その花を見るたびにこの男の子は女の子のことを思い出してしまうから。
その話よりよっぽどタチが悪いと思う。花なんて教えてもらってないし、なんならこっちから教えたことの方が多いと思う。彼女は知ってか、知らずか教えてもらう側であることが多い。
そんな子に占領されている。
いつ解放してくれる?
忘れたいと感じなくなった頃に彼女のインスタのストーリーが更新される。なんでそんなタイミングで。と毎回思う。毎回思って、彼女の投稿を見返してしまう。この習慣。やめたい。
いつになったら他の友達と変わらないように思えるのか、思えないのか。何が特別なのかもわからないのに絶対的な特別を感じる。
ほら、また他のことは違う意識を今も持ってしまっている。やめてよ。教えて欲しい、いつ解放されるか、してくれるか。
なぜそんなことを想ってしまうのか、
一度海辺をその子と歩いてしまったからだろうなと、勝手に結論付けて今回は終わる。