ザ・メニュー 感想

ザ・メニューめちゃくちゃ面白かったです……。あれはどの立場から見るかで感想が変わりそうな映画なので、鑑賞後にめちゃくちゃ語りたくなりますね。
私は主に
・奉仕者としての自分
・作り手としての自分
という観点からあの映画を楽しみました……。

まず奉仕者(障害福祉従事者)として、奉仕をすることは楽しいか、ということを考えさせられてしまった。やりがい搾取……悲しいほどに存在するのが障害福祉の世界です。

腕に思いきり噛みつかれても、椅子で殴られても、首を絞められても、刃物を突きつけられても、一日に何度も窓ガラスを割れる力で頭突きをされても(年末にされたものだから業者が1週間くらい来てくれなくてダンボールで塞いでやり過ごしたのは今では笑い話)、爪を立てられても、指の腱が切れるような蹴りを食らっても(私の話じゃないけれど)、髪を容赦なくわしづかみにされても、耐えなくちゃいけない。
やり返すことは虐待だから許されない。こんな馬鹿げた話ってあるか? といつも思います。しかも興奮で暴れる人って30代~50代の人が多いので力が有り余ってるんですよね。めっちゃ痛い。
幸い私が去年まで働いていた法人はめちゃくちゃ教育に力を入れており、研修も盛んだったし、現場で行動変容アプローチ、行動分析の神髄を学ぶことができました。だからメンタルが潰されることはなかった。ひどい他害のときは対抗できる男性支援者が庇ってくれてましたし。
やまゆり園の事件は起こるべくして起こったのだ、といつも思っています。きれいごとを見ると虫唾が走ります。とてつもない怒りが込み上げてきます。差別だっていうなら現場の最前線でロング夜勤しながら働いてみろよ。多動で他害があってマンツーマン対応が必要で納得できないことがあると暴れる人に一日ぴったり付き添ってみろよ。その人を見ながらフロアでワンオペ夜勤やってみろよ。多くの人は音を上げると思いますよ。
私はステップアップがしたくて転職しましたが、それでも仕事は楽しかったし前の職場も好きだった。コロナじゃなければ遊びに行くのになといつも思っています。
そう。奉仕するのは好きだし楽しい。だって利用者さんが自分を信頼してくれているのがわかるから。心が通い合っていくのがわかるから。
何度痛い思いをしても4年近く働けたのは、好きだったし楽しかったから。今の仕事を選んだのは自分の意思であり、今は昔の自分が選んだ結果に過ぎない。
みたいなことをね~~~。突きつけられましたよね。人の喜ぶ顔を見たいっていうシェフの思いは、本物だったような気がする。たとえ疲れて摩耗してしまったとしても。ゆがんで変節してしまったとしても。
やりがい搾取をしてこない優しい人たちだけに自分の誠実さと真心を提供できたらよかったのにね……。
自慰行為だけ見せつけてきて、ただひたすら自分の欲望を叶えるためだけにマーゴを利用して、マーゴ自身には快楽もひと時の愛すら与えてやらないの、あいつ本当に嫌な奴だよ……。搾取しかしてないじゃないか。

次に作り手としての自分の感想。
料理は食べるためのもので、エンタメという娯楽にするのは、多分悪手なんだろうなあと思いました……。ザ・メニューで行われていたのはある意味ショーであって、料理の提供ではないような気がした。
そうすると客は当然もっとすごいものを見せろ、私たちを楽しませろと際限なく要求してくるわけですよね。地獄か。
与えても与えても満足しないしこちらへのリスペクトもなく、あれが欲しいこれが欲しいと言い続ける強欲な人たちの相手をするのは辛いよね……。もちろん文字を書いて何かしらの反応が返ってくるのは嬉しいし感謝をしてるんだけれど、辛くなる瞬間は確かにあるよね。
萌え製造機という言葉がどうして生まれてしまったのかということを同人女として考えずにはいられない。
それでたまに作り手側の要求を汲み取り、本当にしたいことだけをしてもいいよとオーダーしてくれる人に出会うと、その優しさに嬉しくなったりする。シェフにとってのマーゴってそういう存在だったんじゃないかな。
傲慢な人たちを満足させるためのゆがんだフルコースではなく、単純に空腹を満たすためのチーズバーガー。料理の本質。コックを目指した原点。みたいなのを思い出させてくれる存在というか。

あとはレストランのルールに則った作法を用いられれば従うしかないのは、海賊の「パーレイ」を思い出しましたね。素朴な味こそが最高っていうのは「レミーのおいしいレストラン」だった。
けどマーゴにとってあれもギリギリの賭けだった気がする。しわくちゃの10ドル札しかおそらく現金を持ってなかったであろうマーゴ。チーズバーガーの値段が10ドルを超えていたら、彼女は生きて島から出られなかったのだろうな。


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