見出し画像

えばとん情報2025.1.8「視力」

先日、眼鏡店を訪れた。文字通り、眼鏡を購入するためだ。週末の昼下がり、それなりの待ち時間を要した。生まれてこの方、視力が良いことが取り柄だった。左右1.0以上をキープしていた30余年、眼鏡やコンタクトレンズとは無縁の生活を送ってきたというのに。しかし、1〜2年ほど前から目を細める機会が増えた。ダイニングから少し離れたカレンダーを見つめた時、駅のホームで電光掲示板へ目を移した時、車の運転中もそうだ。文字が霞んで見えるではないか。仕事の性質上、目の疲れを伴うことが増え、疲れが溜まると目薬をさすようになる。度重なる夜更かし、スマホやタブレットの見過ぎ、そうした生活習慣の現れだろう。35歳に近づき、とうとう衰えが忍び寄る。これから老いという実感を得る機会が増していくのだろうと思うとほんの少しだけ落ち込んだりもした。

妻には「似合うね、良い感じ」と言葉をかけてもらって、初めての眼鏡デビューで出社。なんだがドキドキしてしまった。中学生の頃、初めて髪にワックスを塗り、クラスへ入った時の小っ恥ずかしい気持ちが蘇った。通勤中、自分の視界が如何にボヤけていたかを痛感し、感動に近いものを得た。車窓から見るいつもの景色が、そして世界がくっきりと見える時間は喜ばしいことなのだと知る。今の時代、たとえ視力が悪くなくとも常に眼鏡を持ち歩く人は多いらしい、ファッションはもちろん、デスクワーク中心で目の負担を軽くしたい人もいる。

仕事から帰宅すると、娘が父の物珍しい風貌を見つめて「パパがメガネしてるううう!ねえ!それって暗いところでも見える?なんでも見えるの?アタシもメガネ欲しいっ!」と飛び跳ねた。新しい自分も悪くない。視点を変えて、老いを楽しめるマインドが必要だ。


悲喜交交の「悲」にあるこの状況下、エバトン関連の各報道やニュース、コラムを読んでいると、どの報道機関も似たり寄ったりの内容である。ダウナーな気分になることは避けられない。だからこそポジティブな言及やトピック、記者それぞれの見解から、できるだけ異なる指摘を探していく。情報に溢れる世界でボヤけた視界を出来るだけクリアにしていきたい。

ポッターはウェストハム行きが濃厚だ。

次期監督は誰なのか?次の監督は誰が良いのか?いつ交代すべきなのか?ボーンマス戦後のSNSはいささか騒々しい。オッズメーカー「Odds Checker」は意気揚々とモウリーニョを第一候補に挙げた。ダントツの58%だ。理由はよくわからない。TFG繋がりとかいう安易な考えだろうか。

じゃあ具体的に誰が適任なのか?を見ていきたい方に下記のスレッドを。

と、目を通して気づくのは、それらしい見解はあるものの、こちとらプレミアリーグの外にいるマネージャーのことなど齧っていたことすらなく、全くピンと来ないのが本音である。唯一、元ウニオン・ベルリンのウルス・フィッシャーについては過去に幾つかの文献を漁ったことがあるため気になる程度だ。

誰にエバトンを率いてもらいたいか?という問いを過去に何度も投げかけられたことがある。しかし、私にはその明確な答えを出せない。そして、それを考えることはあまり意味がないような気さえしてくるのだ。

モシリ時代で鍛えられた私の視力を駆使するならば、こうしたノイズだらけの冬にこそ、現場で戦う人間たちへスポットを当てたい。此度、ライトの先にいるのはダイチである。正直、現在の悲惨な状況を思えば来季はダイチと別れを告げることを望んでいる自分がいるのは確かだ。だが、今現在で最もプレッシャーに晒されている、現状を打破しようともがいているのはダイチである。先日のプレスカンファレンスでの発言をピックアップしたい。今日の「ひとりごと」はこれを残すために書いたようなものだ。

TFGが監督のポジションを見直しているという報道について聞かれたダイチ

「はっきり言って、そうあるべきだ。 この規模のビジネス、この規模のクラブであれば、後継者育成はオーナーの勤勉さの一部であるべきだ。 絶対に正当なことだと言える。何も変な気はしないさ。もし私がクラブを所有していたら、最高経営責任者に同じことをするだろう。 それはクラブ全体に言えることだ。 試合に勝たなければならない。 今シーズンはまだ十分に勝てていない。 それは間違いなく私の責任だ」

現実と向き合うダイチ
「私はこれまでのキャリアで何度も痛い目にあってきた。 人生において回復力とは不思議なもので、私はそれを十分に備えている。 どう対処するか、如何に常にクラブをサポートしようとするかだ。 クラブはいつだって私よりも大きな存在だ。 私はただの管理人にすぎない。 今のところ、その役割をうまく扱ってきたと思う。 だからこそ、私は今後のゲームで何度勝ちに行けるだろうか? 別のレベルに持っていけるか? 物語を変えられるか? 私たちがやろうとしていることを改革して、別のレベルに引き上げることができるか? それが目下の最大の課題だ」

私がダイチの記者会見で最も印象に残るのは就任発表のスピーチだったが、今回のダイチのメッセージはそれに匹敵する印象強さがあった。そして、就任後、もっとも厳しい環境でのプレスカンファレンスだったと思う。ああ、今この人は戦火の中にいる。彼のカラーが出た意志のある応答だった。

エバトンはリーグ戦19試合で僅か3勝。たった15ゴール。最下位のサウサンプトン(12ゴール)に次ぐ少なさ。
また、エバトンのxGは18.33とリーグ最低だ。
枠内ショット数は計63本でこれまた下にいるのはセインツのみ(58本)。
1試合あたりのゴール数0.79は、過去13シーズンで最低の数字。昨季は1.05、22/23シーズンは0.89だった。

元エバトンのMF、レオン・オスマンがBBC『マンデーナイトクラブ(MNC)』で次のように語った。 「エバトンは今シーズン、19試合中11試合で無得点だ。 チームにはクオリティーが不足していると思うが、それでもチャンスを作り、少ない機会でゴールを決めるべきだ、と誰もが言うだろう。 見ているのはつらいよ…。過去10試合では、クレイグ・ドーソンがトップ・スコアラーで、その試合では2つのオウンゴールを決めているんだからね」

そう、弱者はネタを欠かさない。

だが、私はこのスタッツを見て真剣に思うことがある。目を凝らす。セットピースFCの名は伊達ではない。今更驚くことでも、悲しむことでも何でもない。ネタにするならすれば良い、兆候はずっと前から現れていて、これがダイチのスタイルであり哲学が表現された上での数字なのだ。オープンプレーから満足に得点を奪える戦術を仕込める監督だったなら、全く別の優雅なキャリアを歩んでいたはずだ。アーセナル、チェルシー、マン・シティ戦で披露した初志貫徹とも言えるスピリットを、やろうと思えば、徹底する覚悟があるならば、もう一度実践できるレベルはある。問題はダイチの中にある限られた選択肢の中で、どれを選ぶかということだ。

フォレスト戦、ボーンマス戦は明らかに戦い方が変わった。得点を取りに行くという「意欲」は「色気」と紙一重に見えた。プレスラインは前進し、セットプレーの数と質も陰を潜めた。言ってしまえば、オープンプレーで相手ゴールに迫るのではなく、密集地でファウルをもらいにいけば良いのだ。ゴールラインの隅にロングボールを送り込み、コーナーキックを獲得すれば良い。

もう、オープンプレーは諦めたらいいのさ(暴論の極み)。マクニールが帰ってくるまで?そんな悠長なことは言っていられない。強みを強みとして活かす他ない。ダイチがもたらす攻撃面の創造力にはもう期待していないからだ。選手たちの活かし方はもっとあるはずだと、多くのファンが感じているだろう。

『The Dyche Zone』や『Barnsley Skyball』という名フレーズを残すジョン・ミュラー氏のThe Athletic過去記事(有料)。

あえてチームのテクニカルな照準を開幕時に持ってこないダイチ・スタイル。スロースターター故の後半戦にギアを上げるシーズン・プラン。ピークの置き所。

ここまで私のプライドが先行する内容となった。これで数日後、ダイチが更迭されていたら、それはそれで仕方がない。だが、ダイチのエバトンが、あるいはバーンリーがどのようにして結果を残してきたかをもう一度思い出す必要がある。少なくとも、ダイチのこれ以上のフットボールを諦めているのに、戦うダイチを応援している自分がいる。

前回の「ひとりごと」では"犠牲"について考えた。
次の新たな監督や、今ここに無いトレンドの中枢にある戦術、賢いフットボール、そんな無いものねだりを始める前に、私は見届けたいものがある。原始的で、古典的で、魅惑的に勝てないフットボールで勝負する、首尾一貫の鬼であるダイチの勝負を応援したい。おそらく、もうチャンスは僅かしか無い。監督が長い任期を務めることで味わえる時間だ。視界がハッキリした3年目だった。1年や2年にも満たない時間では見えないものもある、そんな楽しみがあることを教えてくれたダイチに感謝したい。

グアルディオラ流のポジショナルプレーは、ハンサムなパスワークと冒険的なハイプレスで、多くのチームが結果を出すための賢い方法であるように見える。 しかし、野球やバスケットボールなど、データ学習曲線がさらに進んでいるスポーツを観戦している人なら、ゲームをより効率的にプレーすることが、必ずしもより美しくプレーすることを意味しないと知っている。

勝利につながる原始的な戦術を試すチームが増えても驚かないでほしい。

フランクの指揮するブレントフォードは、ボックス内へのスローインでそれをやっている。 エバトンはダイチ・ゾーンへのロング・フリーキックでそれをやっている。 彼らはスタイルのトレンドに逆らい、フットボールの根源的な混沌を受け入れているのだ。

もしそれが上手くいけば、彼らはそれほど滑稽には見えないだろう。

Introducing the Dyche Zone: Why the Everton manager is right to favour deep free kicks

フットボールは視点を変えれば面白くなる。
曇りがちで、つまらなく見える(実際につまらない)フットボールは視力を養う良い機会だと捉えよう。"色眼鏡"だと言われるかもしれないけれど。

いいなと思ったら応援しよう!

BF
気に入ってくださり、サポートしてくださる方、ありがとうございます。 今後の執筆活動や、エヴァートンをより理解するための知識習得につなげていきたいと思います。

この記事が参加している募集