ピープルズ・クラブ - その名に恥じぬように 「The People’s Club – Living Up to Their Name」
はじめに
NSNO Vol.26はエバートンFCの代名詞である「People’s Club/ピープルズ・クラブ」について考える機会としたい。その第1歩として、2016年9月に公開されたEFC Stattoの記事を翻訳。執筆者であるEFC Statto(X:@EFC_Statto)を運営するブラッドリー・ケイツ氏(X:@Bradley_Cates_)に翻訳・執筆についてご快諾いただき、晴れて日本のエバトニアンにお送りする。
さて、今回の記事を執筆する上で私は自分自身に問いを投げかけた。何故エバートンFCが好きなのか?あるいは、何故応援しているのか?そして、あなたは?
きっかけは些細なことから、運命的なものまで様々だろう。今季から追いかけ始めた人、時を経て更に惹かれる人、没頭する人、気軽に試合を楽しむ人、距離を置き始めた人、応援しなくなった人、久々に舞い戻った人…極東のファンダムの中身は十人十色の集団で構成されているはずだ。
愛するクラブの、好きな選手のこと、感動したプレーのこと。娯楽としてのフットボールに一喜一憂し、勝利や団結は人々にエネルギーを与え、スポーツとしての純粋なパフォーマンスに心が動く。時に酷いゲームに出会えば、落胆する夜もある。
ファン・サポーターとして数多あるチームの中から、何故エバートンを好んで選んだのか。他のクラブを応援するファンと同様に、現地の文化で育たない我々にとっては土台がない中で想いを育むことになる。
選手や監督、クラブで働く一部の上層部やスタッフにも当てはまるかもしれない。クラブに所属する全ての人間が、生まれ育ったころからエバートンとリバプールという街に関わってきたわけではない。外からやってきた選手やスタッフも、生まれ持たない土壌を耕し、その地域、土地、言語、慣れない環境に身を投じ、馴染み、学び、関係性を深める努力が必要なはずだ。
今季、エバートンFCはプレミアリーグ発足以降、前例のなかった財政規約違反による勝ち点減点処分を受けた。世界トップクラスのフットボール・リーグで健全に生き抜く力を失っている状況である。幾年、目標到達には遠く及ばず、ヨーロッパを目指していたはずのエバートンは、その地位を維持できずにテーブルの最下層で苦しんでいる。
アカデミーで頭角を表した選手たちは財政難にあるクラブの煽りを受けて退団し、大金を費やした核となる選手を何人も失った。エバートンで忠誠を誓った何人もの戦士が別の環境へと移って行った。浪漫が怠慢によって泡となる光景。
長年クラブに貢献し、ピープルズ・クラブを体現してきた会長のビル・ケンライトが逝去した。いくつものプロジェクトを推進してきた最高経営責任者のデニス・バレット=バクセンデールを始め、複数の幹部や担当者が職を退いた。多額の支援でエバートンの後ろ楯として君臨したメイン・スポンサーは、多くの疑惑と戦争の渦中で姿を消し、残された我々は衰弱するチームを見届けている。
一方、視野を広げると格差の広がる欧州リーグ放映権はますます高騰化が進み、ビジネス色が強くなるプレミアリーグ。競争力は留まることなく激化を見せ、現在のOther14始め、ビッグクラブに近づくためには巨額の資金を投じなければ瞬く間に置き去りにされてしまう。そして、一度の投資に限らず、持続可能な運営を必要とされる。大枚を叩くだけでは弾かれる。
クラブがある街と、共存する人々が織りなす文化や歴史、引き継がれる誇り。元来、胸に抱いた姿とは裏腹に、繋がることの無かった国外の投資家たちが品定めをするように各クラブへ目を光らせる。商品としてのフットボール。
そして、財政状況が逼迫し、成績の振るわないクラブは醜いマネーゲームの餌食になる。頼らざるを得ない重いしがらみ。
エバートンはオーナーの決断により、クラブを売却する方針を固めた。777partnersによって揺れる買収問題は、本来想定された審査期間を大幅に越え、未だ正式な承認を得ないまま時間だけが淡々と過ぎている。この記事を書く間に、リーグの決断がようやく下されるとの報道がタイムラインを走った。
街の人々がプロセスに加わる魅力あるはずの"参加型"と銘打った新スタジアム建設は本来期待されていたものとは別の空気が流れている。街の再生を行う以前に、クラブを再生する必要があるからだ。
3年連続の残留争いに飲み込まれるエバートン、本来あるべき姿と苦境にあるクラブの状況、その乖離した理想と現実の狭間でファンは暗澹たる日々を過ごしている。
今こそ考えたい、そして寄り添いたい。うまくいかない時間の長さに疲弊しても、我々が応援するのは「ピープルズ・クラブ」だ。懸命な努力を続ける選手たちに、ただ気持ちを委ねるシーズンを繰り返す。批判はあれど投げかける言葉はあくまでも「サポート」でありたい。それは遠く東の島国にいる私たちも同じだ。本稿ではピープルズ・クラブを応援するファンとしての意味を再考する。
本編:ピープルズ・クラブ
その名に恥じぬように
「The People’s Club -
Living Up to Their Name」
by EFC Statto / Bradley Cates
◇◆◇
2002年、エバートンの監督として最初の記者会見で、デイビッド・モイーズはエバートンを「ピープルズ・クラブ」と呼んだ。このクラブは、これまで何度もその名に恥じない活躍をしてきたと言っていい。そして、その呼び名にふさわしいクラブであることを如実に示す出来事がある。
2011年、慈善団体「エバートン・イン・ザ・コミュニティ」は、エバートンのサポーターから寄せられたエピソードを詳細にまとめた本を発売した。その中には、エバートンがサポーターに忘れられない体験をさせた時のエピソードも含まれている。今回は数あるエピソードの一つに過ぎない。母マグス・フラーと娘のミーガン。
ノース・ヨークシャーのサウス・ミルフォードに住むマグス・フラーは、若かりし頃ケント州の看護師養成コースに通っていたときにエバートンのサポーターになったという。養成コースで学ぶため、リバプールからケントに引っ越してきた別の看護師研修生もエバートンのサポーターだった。研修生の名はジュリー・ホール。ジュリーのエバートンへの愛はすさまじく、すべての講義にエバートンのシャツを着て出席した。しかし、彼女はガンを発症し、それはすぐに転移し始めた。そこでジュリーは、愛用していたエバートンのシャツをマグスに贈り、自分が死んだ後もエバートンを応援してくれるよう頼んだ。
"一度でもエバートンに触れてしまったら、決して元には戻れない "と、マグスに言葉を残したという。ジュリー・ホール、どうか安らかに。
マグスはジュリーの約束を守り、熱烈なエバートン・サポーターになった。やがて、マグスの娘もエバートンのサポーターになることを決意した。マグスは娘の寝室がエバートンの聖堂になったと語る。しかし、彼女は娘にまつわるショッキングな出来事について語った。
マグスは娘に何か特別なことをしてあげようと思い、大好きな選手、ティム・ケーヒルのサイン入り写真をプレゼントをしたいとエバートンに連絡を取った。エバートンは快く承諾したが、それだけで終わらなかった。
ミーガンは試合当日まで何も知らなかった。マグスはあえてミーガンに、グディソン・パークに行くのは「試合の雰囲気を味わうためと、クラブショップを訪れるため」だと言った。しかし、日が経つにつれ、ミーガンは不審に思うようになった。当日、あるカメラマンが彼女に自己紹介した後、彼女は何かが起こっていることに気づいた。
その後、ふたりは写真撮影のためにグディソンパークのピッチに向かった。じきに選手たちが到着した。
その日、ティム・ケーヒルが、そしてエバートン全体が、たったひとつの親切な仕草でミーガンの人生を好転させた。また、マグスとミーガンのエバートンへの愛と、「ピープルズ・クラブ」としての評判を確固たるものにした。
そして、2人の永遠の宝物として、ティム・ケーヒルとの記念写真を撮った。
マグス・フラーはそれ以来、チャリティのための募金活動に熱中するようになった。2012年にはグレート・ノース・ランに出場し、自身のJustGivingページでマクミランがんサポートに200ポンド以上を集めた。2014年にはリバプール・ハーフマラソンに出場し、自身のVirgin Money GivingページでパーキンソンUKのために270ポンド以上を集めた。
現在、ミーガンがどうしているかについては、(私が見つけた限りでは)何も書かれていない。しかし、彼女は今でもこの特別な日のことを思い出し、エバートンのサポーターであることを誇りに思っているに違いない。
◇◆◇
あとがき
歴史深いエバートンには様々なエピソードが記録されている。今回お届けしたマグスとミーガンの出来事も数ある物語の僅かな一つに過ぎない。
大切なのは、これを美談で終わらせないことだ。
エバートン・フットボールクラブには欧州でも屈指の評価を受ける公式慈善団体、エバートン・イン・ザ・コミュニティが存在する。
舞台裏でエバートンを愛し、熱心に活動を続け、社会に貢献する人々がいる。
スタジアムで観戦し、パブで仲間たちと勝負の行方を見届け、はたまた遠く離れた国々では、深夜に眠気まなこを擦りながら応援するファンもいる。
ファンのみならず、リバプールに住む人々が苦しんでいる時、迷う時、手を差し伸べるクラブがある。日々の仕事や家事の疲れ、悩みやストレスも、チームの勝利が解決してくれる。ヒーローである選手たちが肩を組んでくれる。
でも、いつもそうとは限らない。強者には強者の悩みがあり、弱者には弱者の葛藤がある。
お互いに手を取り合い、支え合い、ひとつずつ階段を登っていく。そんなクラブとサポーターの関係が育まれていけば、どんなに素敵なチームを築けるだろうか。少なくとも、私が心惹かれたエバートンは今よりもその姿勢があったはずだ。
しかし、肝心のクラブに綻びが生まれ、均衡することのない浪費と成果の両曲線が歪みあったまま、クラブを手中に収めようとする投資家は、ピープルズ・クラブに相応しさのかけらもない、企業としての社会的責任を果たせない連中が蠢いている。わだかまりを生んでいる難しい状況が続くと、プロテストは勢いを増し、悪態をつくファンも現れ始める。互いの価値観と正義感、見える景色は異なっている。それは悪路を辿るSNSでも同様だろう。
ピープルズ・クラブという概念を誰もが端的に表せる言葉は無いかもしれない。だが、共有できる想いと姿勢は、老若男女、肌の色、国の違いがあっても残されている。
勝利の興奮、敗北の悔しさ、ピッチ上の戦術、向上心を持った批判や分析、シーズンを通して生まれるドラマ、サッカー/フットボールファンにとって、楽しむための要素は山のようにある。
その根源たる理念と理由を軸に持っていたい。
私が今回、マグスとミーガンの出来事を翻訳した理由として、この2人へ寄り添ったクラブの姿勢と行動をぜひ極東のエバトニアンに広めたいという想いがもちろんあったが、最も感銘を受けたのは亡くなったジュリーのエピソードにある。
彼女は自分の死期を知り、心から愛してやまないエバートンへの想いを友人のマグスへと引き継いだ。最期にマグスに残した言葉、熱意を絶やさない、人から人へと繋がる意志。そして、ジュリーから引き継いだマグスは、さらに娘のミーガンへと受け継ぐ。
まさに「本物」のサポーターでありファンと言えるだろう。ここに性別や人種は介在しない。国籍も地位も関係がない。エバートンの魅力を理解し、愛情を育み、それを次へと繋ぐ、互いの責任感が生んだ物語だ。
私はこの想いを誰かに強要するつもりも、押し付けるつもりもない。
それでも、「エバートンに触れてしまった」以上、私も「元には戻れない」のだ。ジュリー同様に、その領域に身体が浸かっていく数年間だった。
クラブが買収されるか否か、残留か降格か、いずれにせよ私はエバートンにしがみつくだろう。
苦しい時にこそ離れない。そして願わくば、生きているうちに心から誇れるクラブになっていて欲しい。この想いが決して正解ばかりではないことも知っている。もし自分が心身ともに年老いて戦えなくなった時、この熱意を受け取ってくれる、引き継ぐことのできる誰かに出会えるよう、今は静かに耐え、逆風を突き進む。
ピープルズ・クラブ。
その名に恥じないファンとして、私は今日も心と血液を青く染め上げる。
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