母の戦争体験
はてなブログで開始した母のブログ。
ささやかながら読者が増えて、とてもありがたい。母も励みになっている様子。介護職の友人がたまにコメントを寄せてくれたりして、そのたび感激している。
なんだけれども、毎回頭を痛め続けていたのはテーマ探し。
なんせ母の「しゃべりたい」ツボがどこなのか、まるで分からない五里霧中状態。
私の窮状を見かねた娘が言った。
「おばあちゃんって戦争体験書いてなかったっけ?」
ん?確かに…
そうだよ!あれがあったじゃん。
どうして私って、いつも肝心な時に肝心なことを思い出せないんだろう。
遡ること数年前。
2020年の年明け早々、コロナが日本に初上陸。あっという間に日本全国に蔓延した未知のウィルスのせいで、母はそれまで日替わりでせっせと通っていた公民館、写経、ピアノレッスン、どれにも行かれなくなり、孤独なヤドカリのように家に閉じこもる日々。
このままでは認知症の世界へまっしぐら?と危惧した私は、家に余っていた学習ノートをポンッと母に手渡したのだった。
「いい機会だから、戦争体験を書いてみたらどう?」
というのも、忘れないうちに戦争体験を書き留めておかなきゃ!と、常々母は口にしているくせに、ズルズルと先延ばしにしていたのだ。
他にすることがない母は、その日から思いつくまま、どんどんノートに綴り始めた。あっという間にノートの半分以上が埋まる。
「できたよー」
取りあえず書きたいことはほぼ吐き出し終えたらしい。
ある日ノートが私の元に戻ってきた。
え?それって、戻ってくるんだ?
いや、私に戻されてもなあ…
書け書けと、さかんに母を煽り立ててはみたものの、ハテ、これを最終的にどうまとめようか?
小冊子にして、母の葬式にでも配る?
でもやっぱり本人にも見てもらわないとなあ…多分本人もそれを期待してるだろうし。
あれこれ考えあぐねていたわりに、ブログに書くっていうことは全然思いつかなかった。
原稿はあるんだから、時系列にまとめ直して、少しずつアップすればいいだけじゃん。
葬式で配るより遥かにたくさんの人に読んでもらえるし。
あんがい名案かもしれない。
そうだ、ついでに写真も付けちゃおう。
ところが残念なことに母の手元に残っている写真はごくわずか。ほとんどが空襲で焼けてしまったし(一部は疎開させていた)、戦時中に写真を撮るような余裕なんてなかったらしい。母のもんぺ姿の写真が残っていないのはとても残念。
なるべく若い世代の方にも読んでもらいたいから、「国民服」とか「衣料切符」とか字面だけでは分かりにくい言葉はぜひとも画像で補強したい。
仕方がないので図書館で本を借りてきたり、ネットで検索したりして、良さそうな写真を探す。
そこで浮上してくるのが著作権問題!
こういう写真を勝手に借用しちゃってよいのかどうか?法律にうとい私にはさっぱり分からない。
著作権法を読んでみたり、ネットのサイト利用規約に目を通したり、本の奥付辺りを探したりして、大抵は著作権法で認められている範囲内であれば利用可能であることが分かってきた。
著作権法の主な規定は以下の通り。
・自分で書いた文章がメインで、引用した画像がサブであること
・画像を引用する必然性があること
・引用した画像と自分が書いた文章が明確に区別されていること
・出典が明記されていること
・公表されている画像であること
・引用する画像を加工していないこと
つまりよほどおかしな使い方をしない限り問題はなさそう。
ただし、個別に利用規定を設けているサイトもあるので、ネットの写真利用には特に充分な注意が必要。
それにしても全国各地にこれほど沢山の戦争関連の資料館があるとは驚きだった。貴重な戦争の遺品や証言を精力的に収集し、戦争体験を風化させないよう尽力されている。
耳では知っていても、実際どんなもので、どう使うのかなど、実は分からなかった物もあったから、大変勉強になった。
古い画像を目にすることにより、母の脳内の奥底で眠り込んでいた記憶が、数十年の時を経て息を吹き返す奇跡を目の当たりにすることもあった。
意味が理解しづらい箇所はその都度母に確認しているのだけれど、この頃は記憶の断片同士が癒着して、時間も場所も深い霧に迷い込み、真相は藪の中…なんてこともしばしば。
母の両親はもちろん、姉も弟もすでに他界してしまったので、裏付けを取ることもできない。
ほんの数年前のことだけど、あの時母に戦争体験を書き留めておいてもらって本当に良かった。そうでなければ、この自伝が日の目を見ることはなかっただろう。
ブログの文を読み返すたび、当時をありありと思い出すようで、母はよく涙ぐんでいる。
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