【ドラマ感想】ひきこもり先生
ひきこもりサバイバーである上嶋陽平は、公園で出会った女生徒堀田奈々をきっかけに、母校の不登校の生徒たちと関わるようになる。
不登校ゼロ、いじめゼロ。上嶋を利用して絵に描いたような美談(実績作り)に持っていきたい榊校長だが、当然簡単ではない。
まず榊校長にスカウトされた上嶋自身が、まずい焼き鳥を黙って焼くだけで精一杯の、ド底辺おじさんである。生徒たちの家庭環境は様々で、自殺未遂を図った堀田は常に失望と怒りを抱え、大人に対する礼儀もマナーもない。クラスのいじめはスケープゴートを変えながら継続し、担任はクラスをまとめるためにそれを利用する。
学校に居場所がなく、時間さえあれば丹精込めて手入れしていた花壇をめちゃくちゃにされてしまい、呆然とする男生徒。その花壇を一緒に手入れをして男生徒と語らっていた上嶋は、顔に憤激を滲ませる。
本当に苦しくてつらくて、どうしようもないときは、学校なんて行かなくていいんだ。
その日を境に、生徒たちは学校を休みがちになる。榊校長は事実を認めない、無視するという強硬姿勢を貫こうとするが、「不登校ゼロ、いじめゼロ」は暗礁に乗り上げ、教育委員会の聞き取りで虚言を強いられた上嶋は再びひきこもってしまうのだった。
全5話という尺の中に引きこもり当人や周囲の人々の現実、悲しみ、つらさ、繊細さ、優しさ、温もりをぎゅっと詰め込んで凝縮した、珠玉の作品。繰り返されるメロディーが切なく、時に前に進む勇気を感じさせてくれる。
・主役を取り巻く登場人物
・子供たちのためにソーシャルワーカーとして奮闘するも、子供たちの両親という最大の壁にぶつかる磯崎。親と子に深く関わる仕事でありながら、未婚で子なしというステータスが時々ハードルとなる。しかし、転んでも立ち上がってぶつかっていく強さと、他人の痛みを知った時に手を差し伸べようとする優しさの両輪が、人として魅力的。
・STEPルームの担任として奮闘する深野。子供たちが自分たちで作ったおにぎりを頬張って見せた笑顔に、ショックを受けて落ち込むシーンが印象的。若い新任教師らしい悩み葛藤に揺さぶられ、自身の力不足に悔しさを覚えながら、強く成長していく。
・上嶋の大切なひきこもり仲間、依田。社会復帰した上嶋を羨むが、上嶋が傷ついたときは勇気をもって励ましてくれる。コンビニ店員で笑顔が素敵な女性のことが気になっているが、声をかけることができない。STEPルームの生徒たちに、自分は自由だと語りながらも、仕事や結婚への憧れを滲ませ、ひきこもりのままではチャレンジできない、達成できない、得ることができないなにかへの悔しさを全身で伝えてくれる。
他にも上嶋の母親、引きこもりサポーターの長嶺など、味わいのある重要人物を据えつつ、丁寧に描かれている。
女生徒堀田を演じるのは「青のSP―学校内警察・嶋田隆平―」尾崎役の鈴木梨央。傷の痛みに共感するがゆえに、大人や社会への反抗的な言動をリードし、負の側面も表現するキャラクター。一面的だった榊校長が次第に葛藤を見せ始め、自分はもともとそんな器じゃないんだと自棄になったところで、つらかったんですよね、と上嶋に返されるくだりがまた良い。
・グループの効能
自分の目の前の狭い現実と、自分の内面世界だけに踏みとどまっていると、身動きが取れなくなってしまう。まだ発達途上にある思春期の子供たちがそうして出口のない悩みを抱えるように、大人もまた、失敗経験の強烈さから、悪循環に陥ってしまうことがある。
上嶋と依田について、ひきこもりに至った背景はほとんど描かれていない。彼らは大人のひきこもりであり、子供とはわけが違う。しかし、クラスになじめないつらさ、登校できない(もしくは登校しなければならない)苦しみ、それぞれの家庭の複雑な事情など、「普通に登校して普通に授業を受けること」を求められながらそれができない子供たちの心に、上嶋は言葉少なに、自然と寄り添っていく。
類似する悩みを抱えたメンバーが、傷つけられる恐れのない場所で安心して本音を言い合い、互いの話に共感することで、固定化された痛みが少しずつ和らいでいく。わかりあえる仲間のいる場所で、自分を出せるようになると、自らの痛みも客観視することができ、浄化されていく。あくまで学園ドラマであってサイコドラマ的シーンは多くないが、STEPルームは1つのエンカウンターグループを模しているように思えた。
カウンセラーがクライエントをカウンセリングすることによって癒されるように、サバイバーである上嶋はときに巻き込まれ、落ち込みながら、たくさんの大人たちの力を借りて、時間をかけて娘と再会する勇気を取り戻していく。STEPルームの生徒たちもまた、狭い現実とない面接会から出ていく勇気を持ち、より広い現実を見渡せるようになっていく。
再び引きこもってしまった上嶋に声をかけようと、家の前に集まってくる生徒たちの声援が熱い。上嶋にとって毎日外出することは戦いだったのだと長嶺から教わった磯崎は、上嶋に、一緒に登校しようと声をかける。
一人一人がその存在を受け止め、受け止められ、少しずつだが、前に踏み出す勇気を自身の中に見出していく。
・学校と社会の狭間で
学校に来るだけでやっとだった生徒たちが、卒業イベントを企画するだけでも喜ばしいことなのに、上嶋は元のクラスから卒業式に出てみないかと提案する。依田の勇気ある講演の後だ。
結局、新型コロナウィルスの脅威から全校生徒を守るため卒業式そのものが見送られ、STEPルームの卒業イベントも中止を余儀なくされる。
しかし、STEPルームの生徒たちはその足を学校に向ける。教師の力を借りて校門前で自前の卒業式を行い、慌てて出てきた榊校長らに対して、問いかける。いつもは学校に来いというのに、なぜいまは来るなというのか。
生徒はなんのために学校に行くのか。教師は何のために学校にいるのか。学校はなんのためにあるのか。
子どもたちにとって、学校に行くとはどういうことなのか。
最後に、距離を取って砂の上に寝転ぶ教師とSTEPルームの生徒たちの沈黙に、繋がるようで繋がらない、繋がらないようで繋がっている、緩やかな連帯が感じられる。それぞれ異なる背景と想いをその胸に秘めながら、いまこのときしかない瞬間を、生きている現実を、温かな息遣いを、静かに味わっている。
この感動的な余白から視聴者が受け取る、センスという働きそのものに、視聴者それぞれの背景と想いが呼び覚まされ、砂の上に寝転ぶ教師生徒たちと響き合い、心が揺り動かされる。
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公式HP:https://www.nhk.jp/p/ts/L29VQMZMK8/
番組名:「ひきこもり先生」(全5話)
※上記情報は公式HPから引用しています。
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