ノルウェーのニーノシュク〜『だれか、来る』(2019)
ノルウェーの劇作家、ヨン・フォッセ。毎年ノーベル文学賞候補にあがっていることは日本ではあまり知られていないかもしれません。
地点は京都移転前の2004年に『ある夏の一日』『眠れ よい子よ』『名前』の三作品を本邦初上演。同時期には、今は亡き太田省吾さんがフォッセの代表的戯曲『だれか、来る』の本邦初上演を手がけました。
2018年にアンダースローのレパートリーとして、再びフォッセ戯曲に取り組んだ地点。翌19年に、オスロのDet Norske Teatretが主催するフォッセ・フェスティバルに招聘されました。
Det Norske Teatretは、日本語にすると「ノルウェー劇場」となりますが、「オスロ国立劇場」とは違います。両方国立劇場ですが、劇で使用される言語が違うのです。Det Norske Teatretはニーノシュク(新ノルウェー語)の作品を上演する劇場、オスロ国立劇場はブークモール(ノルウェー語)の作品を上演する劇場です。
一つの言語に一つの劇場、という状況は、フィンランドでも目の当たりにしました。フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語ですが、ヘルシンキにはフィンランド国立劇場とヘルシンキスウェーデン劇場があり、それぞれフィンランド語の作品とスウェーデン語の作品を上演しています。
ところで、ノルウェーの劇作家と言えば、イプセンが有名ですが、Det Norske Teatretではノルウェー語で書かれたイプセンの芝居がかかることもなかったそうです。フォッセの「翻訳」によって初めてイプセンの『ペール・ギュント』を上演したことが当時話題になっていました。
さらに驚いたのは、ニーノシュクは文語、つまり、ニーノシュクで日常会話をする人はいない、ということ。にも関わらず、俳優が発語することが前提となっている演劇作品をニーノシュクで書く作家がおり、ニーノシュクで演じられる作品の専門劇場があるということには感慨を覚えました。言語は無論、アイデンティティに関わるものですが、劇場が言語を享受する場としてあるのだなあ、としみじみしたのです。
登場人物が自殺する物語が多いフォッセ文学は、キリスト教社会ではタブーに切り込むものであるということも現地で初めて気づかされたことです。フィヨルドに象徴される大自然を前に、自己の存在のちっぽけさに気づき、ときにはその自然に呑み込まれそうになるという設定や死生観は、日本人には割合受け入れられやすいものなのかもしれません。
写真:松見拓也
文:田嶋結菜