ビヨンドチテン|Beyond Chiten
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『ノー・ライト』で〈マルチリンガル公演〉という新たな表現形態に挑戦した地点。次に続く『騒音。見ているのに見えない。見えなくても見ている!』でも様々なトライアンドエラーがあります。その創作過程や思考プロセスなどを、文章・動画・音声コンテンツで発信する記事をまとめました。
Q 今回、劇場で実際に音を出すのはおひとりですが、ガムランではあまりないそうですね? そうですね、ガムランは基本的に複数の楽器のアンサンブルで演奏する音楽なので、少なくとも伝統音楽の中では、一人だけで演奏するということはありません。ただし、今回は舞台に投射されている4名の演奏者の映像とリンクして演奏をしていまして、バーチャルな意味ではひとりではないのかもしれません。 ちなみに今回、舞台上では私一人で4種類の楽器を演奏したのですが、実はこれはガムランの楽器の一部分に過ぎま
みなさま お疲れ様です。 今日の稽古では騒音問題の解消に時間を割く前に全体の構成をもう一度考えてみようということで、前半は話し合いをして、後半で演算の16〜37までを組みました。 ・前半は舞台が揺れない ・後半のあるタイミングで舞台が不安定になる ・舞台が不安定になって以降はこれまでの動きのモチーフは踏襲されつつ、舞台が大きく動く&音をたてるという大地の変化によって全体の動きが大きく変わっていく 例: →これまでジャンプをしていたディスタンスの人は動かなくなる(寝たりしゃ
みなさま お疲れ様です。先週までの稽古の進捗状況等共有いたします。 三輪さんから送っていただいた音楽を稽古場で流しながら稽古しています。 基本的には台詞(場合によっては2人以上が並走してしゃべる)とお囃子(多くの場合2名以上によって発語される)が同時に出力されるつくりとなっていますので、音楽の聞かせどころをつくるべく、間をいれる箇所など模索したり、台詞を確定していったりなど、少しずつつくっていって、台本は添付の通り9ページの半ばくらいまで確定しました。 ほか、各セクショ
地点ではイェリネク戯曲連続上演を機に、「公演の運営・プロモーション」を活動目的として学生インターンを募り、昨年9月からオンラインでの定期的なミーティングを重ねています。その活動の一環(?)として各々の得意分野で「演劇」について何かしらのアウトプット/表現をしてみることになりました。今回は美川永騎さん(とそのお友達)によるザ・雑談です。録って出し、ノー編集、熱量たっぷりのクロストークを全3回に分けてお届けします。今回はその第3回目。どうぞお聞き下さい! ★学生インターン記事の
今回、演奏でご参加下さいます マルガサリMarga Sari についてご紹介します。 ジャワガムランを用いた表現を行うグループで、ジャワの古典音楽の演奏から、現代音楽の初演やパフォーマンス作品の創作まで、幅広く活動をされています。「マルガサリ」という名はジャワ語で「花の道」を意味するそうです! ▼マルガサリのプロフィールマルガサリ Marga Sari 大阪・京都を拠点に、インドネシアの民族楽器・ジャワガムランを用いた表現活動を行う音楽グループ。現在の日本におけるガムランの
新作『騒音。見ているのに見えない。見えなくても見ている!』の稽古場から、俳優と演出家のやりとりを音声でお届けします。イェリネク戯曲への挑戦は、いつも「言葉」へのまさに体当たりから始まります。 音楽:三輪眞弘
予告動画できました! イェリネクの最新戯曲、本邦初上演!パンデミックを描きながら、人類が普遍的に抱える病、症状についての考察。ジャワガムランにのせておくる〈捧げ物〉。 2/6から。皆様のご来場をお待ちしております!
みなさま お疲れ様です。 先週はなかなか稽古場レポートをお送りできずにすみません。 発語のルール(お囃子と台詞の関係)をいろいろと整理中です。 先週まとめたルールと台本で、今日の稽古の冒頭に添付台本の5頁半ばくらいまでやってみた動画を撮影しましたので共有します。 https://youtu.be/4mQm1DxYBRY まだまだ上手くいっていないところも多分にありますが、 演算の変化をカットではなくフェードでやっていくような流れになっています。 (演算に使用していた「
みなさま お疲れ様です。 今日の稽古では、昨日までに整理した動きと台詞の関係性のルールに則って、まずは動きをつくり(添付の進行表)、れに台詞をあてはめる作業をしました(添付の上演台本)。 ただし台詞の監査はまだほとんどしておらず、上演台本の台詞も仮のものにすぎません。(即興をしているときに記録しそびれてしまっている箇所もあります) また、今日は三輪さんが稽古の後半から参加されて音楽の構成等について確認しました。映像チームによる撮影は1月末に予定しており、それまでに演奏者の
今日は稽古場で直径6400mmの舞台を見立てて稽古してみました。 狭くて想定していた動きができないといったことはありませんでした。 また、狭い中に閉じ込められているというイメージは必ずしも悪くないとは思いました。 とはいえ、もう心持ち広い方がよいのではないかということで、 6600mmを盆舞台(っていうんですかね)の直径として確定したいと思います。 吊り機構の中心と盆舞台の中心をずらすという案について、今日少しお話しましたが、楽器の置き位置含め、平面図にだいたいのイメージを
みなさま お疲れ様です。今日の稽古の様子をまとめます。 いきなりの報告でなんのことやら…の方もいるかと思いますが、ひとまず報告させていただきます。 また折に触れ、もろもろ説明していければと思っています。 ・発語のルールの整理 (これまでの稽古では蛇居拳算※にヒントを得て「マスク」「ウイルス」「ワクチン」の状態/身振りを変容させていくゲームをつくりました) →ウイルス状態の人が常に動きながら発語する →任意の箇所で短く区切った台詞をウイルスの人たちが順に発語する →任意の回
地点ではイェリネク戯曲連続上演を機に、「公演の運営・プロモーション」を活動目的として学生インターンを募り、昨年9月からオンラインでの定期的なミーティングを重ねています。その活動の一環(?)として各々の得意分野で「演劇」について何かしらのアウトプット/表現をしてみることになりました。今回は美川永騎さん(とそのお友達)によるザ・雑談です。録って出し、ノー編集、熱量たっぷりのクロストークを全3回に分けてお届けします。どうぞお聞き下さい! ★学生インターン記事のまとめはこちら
「わたしたちはいつも思う。全くの外部にいると。」 エルフリーデ・イェリネク『雲。家。』(林立騎訳) 私はドイツ語を読めないので、エルフリーデ・イェリネクの作品は、もっぱら日本語訳で読んできた。それでも彼女の言語遣いの異様さ、異常さはじゅうぶんに伝わるし(そこに多少とも勘違いや思い込みが作用しているとしても)、それを言ったら他の外国語の翻訳だって同じことだ。イェリネクの戯曲の日本語上演を最初に観たのがいつでどれだったかは記憶が定かではないが、それ以前に文字で邦訳作品を読んでい
聴いたことことのない「不協和音」を聴いた。 『ノー・ライト』を見終わって、しばらく経ってから振り返り、思い出してみたとき、私自身が、この作品から受け取ったものは、ほぼこの一言に集約される。極論すれば、それ以外は、ほとんど思い出せない。私は2012年の初演も14年の再演も見ているので、木津潤平による圧倒的な舞台装置も含めて思い出せることはもちろんある。けれども、思い出そうとすると身体が拒絶する。思い出そうとして思い出せる内容が、ライブでの体験とくらべてあまりにも貧しいことが、