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瀬戸内寂聴さんとの、ある夜。

かねて、好きなことを書くだけの場所が欲しいと探していました。

漸く重い腰を上げてnoteと思い定め、本日、昼休みに登録だけしておきました。忘れないうちに、この夏のオリンピックのボランティア経験談(東京体育館とオリンピックスタジアムでのプレス対応)でも書きたいと考えていたのです。

が、登録した本日2021年11月11日、瀬戸内寂聴さんが亡くなったとの報道じゃないですか。(逝去されたのは9日だそうです)

最初のエントリーが、いきなり故人の思い出なのは賛否あるでしょうが、タイミングでもありますので書こうと思います。

寂聴さんにお目にかかったのは2011年6月20日月曜日の夜。もう時効だろうから正確に書くと、星のや京都でお目にかかりました。先生はその後、反原発の論客みたいになっていかれるのですが、この時は、まだ、そんな感じじゃありませんでした。

英国から招聘したFinancial TimesやThe Guardianといった一流紙の論説記者達をせっかく京都に連れて行くのだから、寂聴先生にお時間を頂き、日本社会や女性といったテーマで懇談いただこうと企画しました。
先生の来し方のユニークさ、僧侶であり有名小説家であること、などは、英国人の日本人に対する見方を広げてくれるんじゃないかとこっそり思っていたのです。

当時既にご高齢(89歳)でしたから、実現できるか皆目自信がなかったのですが会食懇談を快諾頂きました。

秘書Mさんのアレンジで、運転手さんが当日19時より少し前に星のやの船着き場まで送ってきてくださり、船着き場までお迎えに上がりました。
船に揺られながら、そして、暮れなずむ川面を眺めながら、というシチュエーション。英国からの論客5名を相手に、どんな懇談になるか瀬踏みとばかりに雑談を向けると、多少お耳は遠くなられている印象でしたが、(尼僧のイメージの)恬淡というよりは切れ味鋭い会話で、刺激的な夜になることを確信したのでした。

記者達には、寂聴先生の経歴(作家であり尼僧であること)や英訳された著作のいくつか、また、源氏物語の現代語訳等で有名なAuthorであること、などを予習用に伝えてありました。

その夜、英国人達は宗教者たる寂聴先生に、おそるおそる源氏物語と日本文化・日本女性についてお伺いを立てる、といったところから始まったと思います。なにしろ先生、剃髪されて僧衣を纏われ、見た目はバッチリ尼僧なんです(当たり前)。

先生は、英国人達の礼儀正しさが面白かったのか、「ねぇ、この人たち、ご飯もお酒も足りないと思うわ、お肉も出ていないし。お肉追加注文できない?追加してあげてよ」「お酒ももっと飲んで頂いて」といった案配。
お世話係の私は、寂聴先生の豪快っぷりに話の内容そっちのけで翻弄されまくっておりました。

そのうち、「日本は、先進国なのにジェンダー指数で世界ランキング最底辺。なぜまともになれないのか?」という、まぁ、そう言われちゃうだろうなぁという記者の質問に端を発して、源氏物語の伝統的女性像から「日本女性の独立性」みたいな話に話題が広がった挙句、とうとうぶっちゃけ話に突入したのです。

先生「日本だろうとどこだろうと、昔だろうと現代だろうと女性は一緒。(ジェンダー指数はともかく)日本女性は強いのよ」。有名通訳者のNさんがバツイチなのを知っていたのか「日本の男性は、死別したり離婚したりすると一人で生きていけないなんてしょぼくれている人もいるけど、日本女性は一人になっても元気よ、ねぇ?(同意を求める)」「バツイチの人、手を挙げて~」「ハーイ(先生、Nさん、そしてバツになったばかりの私が手を挙げる)」なんて。

終わり近くになったら運転手Hさんにお迎え依頼電話をする約束だったのに、お話しが盛り上がりすぎて2時間経ってもいっこうに終わる気配無し。結局予定を1時間ほどオーバーして22時頃お開きとさせて頂いたのでした。

この夜、先生の快活さ、闊達さ、大胆さに私は度肝を抜かれたわけです。楽しい夜でした。

さぁ、念のため、あの時の記者達に訃報を連絡しなければ。



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