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陰占と陽占の違い
算命学で人物を見る際には大きく3つの観点があり、
それが陰占、陽占、後天運、です。
陰占というのは生年月日から算出する命式、
陽占というのは陰占を基にして算出する人体星図、
後天運というのは、生まれて以降自分に流れる運気がどのように変遷していくのかを見る技術で、
命式で型を知り、人体星図で能力を知り、
その型と能力を効果的に生かす時期を後天運から見つけて活用することで
有意義な人生を送ることができます、ということになります。
よって、不満足に生きている場合は、
その生き方が
・型に沿っていない
・能力に沿っていない
・時期に適していない
…といったことが考えられるのですが、
それに加えて、
型、能力、時期の組み合わせに矛盾があり、不満足につながりやすいといったこともあります。
特に、型と能力に関しては、
その型とは何を意味するものなのか?
その能力とは何を意味するものなのか?
…を明確に理解していないと、的確に人物像を捉えることが難しく、
はっきりと区別して理解しておくことが望まれますが、ごちゃごちゃになりやすいところでもあるので、自分の確認としてもここでその区別を明確にしておこうと思います。
さて、陰占は「人生の縮図」であるといわれ、人生の「型」を示します。
これは、自分の行動が納まっていくところの型、物事が推移していくパターンであるともいえ、
年齢を重ねれば、結局たいていこうなることが多い、と経験知的に自分が感じるところのものです。
例えば、
日干と月支が相生であれば、なんだかんだあっても実家とのつながりが濃いよね、
日干と月支が相剋であれば、結局実家とのつながりは薄いよね、
年支に半会があれば、多種多様な人とつながることになっていくことが多いよね、
年支に対冲があれば、人間関係を広げていけば対立することが多くなるよね、
…というような、特に意識して行動しているわけではないけれど、
私の場合はなんだかそうなってるよね、といった「型」のことを言っています。
一方、陽占は「能力」を示すといわれますが、
陽占の十大主星も十二大従星も陰占の日干を通して算出されるものなので、そもそも陽占は「本人の気持ち、感じ方」を示すもの。
人は気持ちに沿って行動し、その行動が繰り返されることでそれが他の人よりも秀でた力=能力となるのだということです。
つまり、陽占はあくまで「気持ち、感じ方」の世界であって、
その能力の発揮は、行動すれば発揮されますが、行動しなければ発揮はされないということ。
人体星図の縦線は脳内活動ですので、何かしら考えればその十大主星の能力は発揮されることになりますが、
人体星図の横線は現実とつながっており、現実に体を使って行動しなければ横線の十大主星の能力は開花もしませんし発揮もしません。
陽占の能力の発揮には意志を持った行動が不可欠である、
自分が何者かわからないことにはその能力発揮はあやふやなものとなる、
この理解は大切であると考えます。