テーマと補助線
3月の記事がずっと書けないでいる。
この1年、企画にまつわることをと書いてきて、それが2月で自分としては大体書ききったように思うからだ。
去年の春に、1年を通じてどんなことを書こうかと、きっと自分はこんなことを書くべきだと、メモしていたものがある。
かなりぼんやりした部分や、個人史的に自分語りをしすぎたときもあったけれど、それなりには触れてこれたように思う。
そうやって時間を過ごしながら、考えたり書いたりしながら、2月の記事にたどり着いた。
半分はそこで取り上げた本に助けられてだけれど、直接的な言葉やまっすぐな論理を避けてきた自分にしては、比較的読みやすくはっきりと、この企画noteのことについて書けたように思う。
これらが僕の、「わたしと演劇とその周辺」を考えるときに必要と感じた視点だった。
インターネット上にはたくさんの情報があるし、この企画noteでも記事数は300近くになる。
去年の今ごろからすでに、雑多な文章の集まることそのものの価値はそれとして認めつつ、しかし同時に、どう読むのかという問いがあって、
それの1つとして批評が必要だと思い、薛 珠麗さんに記事をお願いしたりしていたし、あるいは僕がこの1年かけて「わたしと演劇とその周辺」にまつわることを書いてきたのも、その1つと言えるのかもしれない。
書かれたものや行われているものを、どう受け取るのか。その補助線のようなものを引くことが、やはり必要なんだろうなと思っている。
きっとこれは、ずっと付き合っていくだろう自分の興味の1つなんだろうと思う。そういう外側的な視点とともに、内側的な、行為する者として、俳優も続けていきたい。
40を迎える年に、しかしずいぶんとのんびりしているように思うが、まあなんとか、続けていくことを続けたいと思う。
企画の紹介や干城の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/maca6d8d671c9