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受け取る印象/ほぼ荷物もってません

(220504)まや
舞台、無事に終わりました。
干城さん観に来てくれてありがとうございました。
2年ぶりのお芝居でいろいろテンパった部分もあったけど本当に幸せだった〜。
折角なので印象的だったことを振り返りするね、

「公演の振り返り(ほぼブログ)」

2年ブランクあっても、私の中に小さな中村早香はちゃんといたよ。
私が呑気に家出る時間にはすでに劇場の前で待機してて、私がコンビニ寄ってる間にアップ始めてたよ、笑
そんな早香さんのおかげというかせいというか、
いつも起きた瞬間から「早く劇場に行ってアップしなきゃ、身体起こさなきゃ」って焦って劇場入りすると
大抵1番とか2番に到着、そんな日々。
私が早香さんくらいストイックになることは一生ないけど、
多分彼女に出会ってなかったらアップとかまともにしなかったと思う…
出会ってもう10年以上経つけど…1回も怒ったり何か言ってきたりすることなく、
姿で見せ続けてくれる中村早香の偉大さを噛み締めたのが印象的だったこと①。

②、
何人かの人に「印象が変わった」「最初誰かわからなかった」と言われたこと。
私の周りで一番お芝居に詳しいと思ってる仙人のような友人(60代)から
「以前とは違う気配を纏っていて驚いた」と言われた。

いろんな人からママになったからじゃない?とも言われたのだけど、
自分の中で心当たりがあるとすれば、役作りでやった【アトモスフィア】というエクササイズ。(山中結莉さん、那須佐代子さんのWSで教えていただいた)

今回の役は、
「友達一人もいない」
「盗み癖があって大きな窃盗事件に関わって家を出る」
「自首すると嘘をついて義母に睡眠薬を飲ませて逃亡する」という、
自分とはかけ離れた個性の持ち主。

私って友達多いし、多そうに見えるし、割とほっといたらいい人に見えちゃう(と、自分では思っている)。
だからある程度ちゃんと「悪」をやらないと説得力ないよなあ、と思ってた。
ベタなキャラにならないよう塩梅がすごーく心配だったのだけど、そう見えてたらいいな。

わーこれ、永遠に書けちゃうな。なんかブログみたいになってしまってるけど今回はいっか。
ザンさんのお芝居とっても素敵ですごかった。
それが印象的だったこと③。
彼女が役として何を感じているかがいるだけですごく伝わってきて。
見ている人の想像力が広がる身体というか。見せ方なのか。

観てくれた人がTwitterで
「ザンさんが出てくるとゆるっとした雰囲気のままいつの間にか芝居が構成されてしまう」みたいに書いてる人がいて、
めちゃくちゃわかるなあ〜って思った。力技で芝居を成立させるのって第一段階として必要だと思うのだけど、
ゆるっとした雰囲気のままっていうのが本当に、大人の芝居だなあ…と。私まだまだ力技でやってしまうな、と。笑
コロナで食事とか1回もできなかったけど、ゆっくりお話聞いてみたいしまた共演させていただきたいな…って思う女優さんだった。

④最後になりますが演出家によって違うダメ出しの仕方も、今更だけど冷静に受け止めることができておもしろかった。
上野さんは基本褒め出し。
あまり多くは語らないけど、
よかった日は終演後挨拶に行くと「素敵でした」って言ってくれる。
あとは台詞の音にこだわったり、きっと耳が良いんだろうなって思った。
役者をすごく立ててくださる方なので、
一人一人個別にダメ出し送ってくれることもあったりとにかく丁寧で、
その品の良い人柄が作品に反映されてるなって思った。
そんな演出家。

干城さんからのお返事、近況など含めどうですか?
ぼちぼちお待ちしてますー。


(220505)干城
お疲れさまでした。
僕も久しぶりになっちゃった。

今年は自分でもと、企画に関連したnoteを書いたのだけど、
そっちは批評的な視線というか態度でいたから、
こっち何書こうって、
まやに対してじゃなく、見られる/見せることに意識をもっていかれてしまって、
判断できず、書けずにいたように思う。


私の中の小さな中村早香、アマヤドリのメンバーの中にはみんな居そう。
山中結莉さんのWS、僕は7,8年前に参加したなぁ。エクササイズの名前は忘れちゃったし、(名前だけじゃなくてだいぶ忘れてると思うけど)、アトモスフィアってやったのかな??
でも結莉さんのWSは僕もとても印象に残っていて、ときどき思い出す。

「どう見えるか、どう感じるか。(または、舞台上の印象と普段の印象。)」

でも今ふと思ったのだけど、
“友達多いし、多そうに見えるし、割とほっといたらいい人に見えちゃう”って、やっぱり普段のまやで、
舞台上のまやを見てそういうふうに感じたり思ったりしたこと、僕はほとんどないような気がする。
芯が強そうとか、自分の大切な範囲の人たちをすごく大事にしそうとか、な感じかなぁ。
って書いて思い浮かんでたのは、『ぬれぎぬ』『うれしい悲鳴』だった。どっちも初演の。

(ある程度歳をとったからか)、聞かれてないのに本人に、そのお芝居のこととか演技のことをあまり話さないようにしてるのだけど、
それに、そこまで取り立ててってことでもなく、ポロッとそんな感じがしたってのを掬い取っての話なのだけど、
(今回のまやに)変化があったとしたら、
なんか、力がちょっと抜けてたというか、背負い過ぎないでいたというか、降ろしてたような感じがした。
うん、降ろしたって感覚が近いかな、なんか、あんまりいらないなって荷物は降ろしてきました、って感じ。

ザンさん、僕たぶんザンさんと認識して初めて見たと思うのだけど、
それこそ今回のお芝居のザンさんは、ほぼ荷物持ってませんみたいなふうに僕は見たなぁ。とても素敵だった。

まやの役はでも、その子のやり方で、とてもとても家族や義理の母のことを好きで大切に思ってたんだなぁと僕は感じた。
それが客観的には独りよがりで、悪いことをするものだったのだけど。
(これはでも、戯曲や演出、物語の感想かもな。)

だから、って接続詞はおかしいか、
悪をやらないとと思ってたのが意外で面白かった。
ある程度は、自身との差の話でもあると思う。
そう考えると、俳優一人ひとりで持ってる/受け取る言葉は全然違ってくるよなぁ。
「私の思う私」が基準になってくる、みたいなところが確かにあるように思う。


なんかちょっと「自己紹介」と関係しそうな感じ。無理に繋げる必要はないんだけど。(俳優の準備の話や、役を肯定するっていう演技の話もできそうだし、言葉の持ち方/受け取り方って話もできそうだけど。)

なんかそんなあたりをぶらぶらしてみようか。


(220508)まや
こんにちは。
舞台上の私をみて、普段の私とは違う印象を持たれてることがとても意外だった!

干城さんにもお返しに書いてみると、
舞台上の干城さんで私が印象に残っているのは『太陽とサヨナラ』の博士みたいな役の雰囲気かな。
あれすごく似合っていたよね、笑
森の奥とかで一人で世界的な研究とかして興奮してそう。ちょっと浮世離れした雰囲気があるものね。
だけど偏屈というわけではなくて、たまたま周りに人がいなくて、そのことに頓着していない感じ。
遊びに行ったら街では飲めない薬草茶とか出してくれるような。笑
そんな記憶です。
あの作品も、辛くて悔しくて、でも楽しかったな。
多分もう二度とやることないだろうから、切なくていい思い出。

今回の劇団競泳水着の劇の私とザンさんについて書いてくれた話、とても興味深い。
力が抜けていたのかあ。
正直育児との両立が結構ハードで、体力も気力も今までより万全で臨めていなくて、寝不足の日とかもあったのだけど。
眠くて仕方なくてなんとかステージ終えたみたいな日に、
いろんな人から「今日よかったね」と言ってもらったりして。
むしろ元気チャージされて臨んだ日は、どこか空回っちゃったなーって自分で思ったりして。
疲れとか日常生活の負荷のおかげで勝手に力が抜けたのかもしれない。

役柄の本質的な部分、
干城さんが書いてくれた通り(その子のやり方でとても家族を好きで大切に思っていた)に私も読んでた。
その後に書いてくれてる、

俳優一人ひとりで持ってる/受け取る言葉は全然違ってくる
「私の思う私」が基準になる

ってどういうこと?
今回私は動機はどうあれ、悪事を働く、っていう役柄と自分(「私の思う私」)に乖離を感じたのだけど、
そもそも「私の思う私」と「他者から見る私」自体、結構違うのかねえ。

自分という個性がどう振る舞えばどう見えるかを知るのって役者さんにとってすごく大切なことだと書きながら思った。
『水』でヒロインのシトラを演じたときに広田さんから「長澤まさみじゃないんだから」と言われた。笑
ヒロインなのだけど、柳原可奈子みたいにやったらどうだろうって話になって柳原さんのラジオをひたすら聞いていたな。笑

それはそうと、ぶらぶらって、いいね。


「言葉の持ち方/受け取り方についてと、見え方の認識について。」

(220510)干城
例えば、(枝葉のない説明をしてしまうのだけど)、
僕だったら、あの役をやるとして、「悪をやらないと」っていう言葉の持ち方をしないと思うんだよね。
僕は自分のことを、割とほっといたらいい人に見えちゃう、って思ってないし。
役と自分に乖離があっても、それをどうにかするために持つ言葉は、俳優それぞれで違うよなぁと。

受け取る言葉が違ってくるっていうのは、単に、「悪」と聞いて、イメージするものがそれぞれ違うっていう。
これもまた当たり前っちゃあ当たり前のことなのだけど。
(ただ、誰かとコミュニケーションを取るときに、この辺のことって、案外なおざりにされてるように思う。)


ほとんどの物事に対して、やっぱり、
自分ってものが基準というか軸にならざるをえないし、
そこから見た役だったり世界だったりになってくる。

「私の思う私」については、正確に話そうとしたら、
言葉の持ち方/受け取り方についての話と、見え方の認識についての話とかを、ほんとは分けて考えてみたいのだけど、、
そのへんは今回は置いとこう。置いといて、

“自分という個性がどう振る舞えばどう見えるかを知るのって役者さんにとってすごく大切なことだと書きながら思った。”

これほんとそう思う。
でも、むっちゃ難しいよね。


なんか今日書いているこのあたりのことって、
僕にとって、苦手意識というか、引っ掛かりが強くあるところなんだよな。
言葉の取り扱い方と、見え方(どう見えるか)の話。

ずっとつまずいていて、でもこの1年くらいでだいぶ言葉にできるようになってきたと思うのだけど。

WSやりたいなぁ。WSというかお試し会というか。


そういえば昔、まやがWSやってくれたことあったね。
5人くらいの小さな集まりで。でもなんか印象に残ってるなぁ。
そこで初めましてだった人に、変な人~って言われたな。(数年後に別のWSで再開したりした。笑)

「私の思う私」と「他者から見る私」、
性格(内面)的なことと、見た目(外面)的なことと、それぞれあるけど、
どんなことであっても、発見があると、いいな面白いなと思う。

まやが書いてくれた『太陽とサヨナラ』のときの印象、
自分自身では自分のことをそんなふうに描写しないけど、なんかそんな感じだよね(笑)って思うし、
自分で特に見ていなかった部分に光が当たるというか、そういう納得と発見が同時にあって面白い。
あと、誰かが昔、「おじいちゃんボーイ」って僕を一言で評したことがあって、むっちゃ、それだ! ってなった。
おじいちゃんかつボーイだわ自分、って。笑


そういえばこないだ星麻と、『太陽とサヨナラ』面白かったよねって、なんかちらっと話した。
確かに、もう二度とやることないんだろうな。
しかし書かれた文字として見るとなんかインパクトあるな、二度とやることない、って。

もう9年も前の話か。
まやと初めて会ったのは13年前。
くらくらするなぁ。笑



(中村早香さんには、昨年度こちらで記事を書いてもらっていました)
https://note.com/beyond_it_all/m/m0c1cb0e651b0

(また、この記事内で触れているアマヤドリの作品の多くは、観劇三昧(スタンダード会員)で、ご覧いただけるようです)
https://v2.kan-geki.com/theatre/site/96


小角まや、干城の記事はこちらから。https://note.com/beyond_it_all/m/m5e18eb4b7f06


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note「わたしと演劇とその周辺」
読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。

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