トラペジウム-サイコパスに幸あれ-ネタバレ感想
遅行性トラペジウムという言葉もあるそうで、これはよくわかる。
自分でも物語を消化するのに時間がかかっている。キャラクターとして、東ゆうはサイコパスクソ野郎だとして、この物語はなんなのか?
東ゆうの視点でのサイコパスの成長譚と捉えて文章を2つほど書いてみた。
東ゆう視点では、他者を排して考えるのならば、この説明でもいいのだが、他のメンバーは?特にPTSD必至の大河くるみなんて東の顔なんて二度と見たくないと思ってても不思議ではない。少なくとも会おうとしたとき、常識的にはさぞつらかったろう…と思う。
それでも、東ゆうを許したし、8年後でも友達のままだ。東の嘘と企みで始まった友人関係にせよ、実際に楽しかったのは本当だったのだろうと思う。東の本心がどうあれ、そこの関係性は確かにあったのだと思う。
くるみも東の野望には気づいたろうがまさかキャッチーさのために東西南北から人を集めようと思っていたとは気づいてないだろう、人智及ばぬ発想なのだからさすがにそれは無理だ。人はお互いに100%気持ちや意図を知ることはできない。友情は相手の手札を100%開示してから始まるゲームではない。また、物語の上で、悪しき考えには報いが回ると思いがちだが、現実世界ではそうでもない。いろいろな思いがあって、悪であれ善であれ、その報いは不公平だ。
だから、東がサイコパスクソ野郎だったとしても、運よく「友達に恵まれた」というだけの話なのかもしれない。さらに言えば、親にも恵まれてる。自分が嫌なやつだと自嘲した時に母親は「そういうところも、そうじゃないところもあるよ」と言った。なんというパーフェクトコミュニケーション。なかなかこんなこと言える親はいない。
東ゆうはサイコパスクソ野郎だが、同時に思いが人一倍高く、悩みも人一倍深い人間で自分をコントロールするのにいつも苦労している。そんな彼女のガバガバ計画が「うっかり成功してしまった」が故に派手な分解と失望を見せた流れの中で、成長と友達甲斐ある友人に恵まれた…そんなシンプルな解釈が許されるかはわからないが、割とそんな話でもあるのかもしれない。
サイコパスでも嫌なやつでも友人を作る権利も良い友人に恵まれるチャンスもある…という人間賛歌でもあるかもしれない。
悪人正機説みたいになってきました。