私の中にある図書館[1]
温かいカフェオレを作り、ソファーにもたれ、本を開く。ベッドに横になり仰向けで本を開く。何かの待ち時間ができれば本を開く。煮込み料理の待ち時間に本を開く。
とにかく本が読みたい。字が読みたい。
活字中毒になったのはいつだったか。
今なら小さい私へ「読みたいなら人目気にせず読みなさい!」と言いたいところだが、思春期に片脚を突っ込んでいるような女子が人目を気にしないのは無理だ。あの時代、読書をするより鉄棒でぐるぐる回ってる方がカッコイイと思っていたんだから。
小学生の時、たまに行く学校の図書館が薄暗くて独特の匂いがしていた。古い紙と埃と少しの陽射しが混じった匂い。
誰もいない静かな、私には不釣り合いな場所。おとなしくて勉強が好きな子が通う場所。本を借りるなんて、しかも学校の古い図書館なんて、ダサい。
だけど、本当は私も図書館が好きだった。
そっとドアを開け、別世界へ一歩踏み入れる。分厚い古い本や何冊もシリーズ化されている本に指先を這わせながら歩く。棚から棚へとタイトルや表紙の質感を眺めながら、借りる気もないのにゆっくりと、いかにも今日借りて行く一冊を吟味している様に。
もう帰ろうと思いながらも、絵本の棚の前で懐かしい一冊に目が止まる。保育園にあったかな。そっと取り出して表紙を眺めた。知っているが、読んだことのないもの。きちんと手の上に乗せたのは初めてだった。
何故だかわからないが、この絵本がとても大切な物になると思った。表紙の絵の色合い、落書きのような線、余白、全てが新鮮に映った。完璧に書き込むだけが絵じゃないんだ。
けれども、私はそれをそのまま棚に戻した。ここで借りるなんて、私には似合わない。
しかし、その絵本はなんと背表紙まで完璧だった。
あの頃の素直じゃなかった自分は別人です、という顔で大人の私は図書館へ通う。
そして別世界の扉を潜ると、やはり棚から棚へと、蝶のようにひらひら舞うのである。
お目当ての本を読むことも、もちろん好き。それだけではなくて、様々な本の匂い、興味のない分厚い専門書が醸し出す重厚感、いつからあるのだろうと思う程に茶色く焼けた本、そして文字を求めてやって来る人々とが混ざり合い、作り出される『図書館』という別世界がとても心地よい。そこが大好きすぎて胸が苦しい。
図書館に限らず本屋も好きだが、新刊と古書の匂いは違うのだ。
さて、あの時そっと棚に戻した絵本はどうしたかというと、すごく大きくなっても忘れられず購入した。今は私の本棚にしっかりと納められている。
お気に入りの絵本コーナーで、背表紙を輝かせながら、ウサギが今でも原っぱでワンピースを作っている。
“ラララン ロロロン ランロンロン♪”
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