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蝶を夢む/ヨルシカ雑感

 どうもべっちょです。


n-bunaさんマジ朔太郎好きだよね


■萩原朔太郎の「蝶を夢む」全文

座敷のなかで 大きなあつぼつたい翼はねをひろげる
蝶のちひさな 醜い顏とその長い觸手と
紙のやうにひろがる あつぼつたいつばさの重みと。
わたしは白い寢床のなかで眼をさましてゐる。
しづかにわたしは夢の記憶をたどらうとする
夢はあはれにさびしい秋の夕べの物語
水のほとりにしづみゆく落日と
しぜんに腐りゆく古き空家にかんするかなしい物語。

夢をみながら わたしは幼な兒のやうに泣いてゐた
たよりのない幼な兒の魂が
空家の庭に生える草むらの中で しめつぽいひきがへるのやうに泣いてゐた。
もつともせつない幼な兒の感情が
とほい水邊のうすらあかりを戀するやうに思はれた
ながいながい時間のあひだ わたしは夢をみて泣いてゐたやうだ。

あたらしい座敷のなかで 蝶が翼はねをひろげてゐる
白い あつぼつたい 紙のやうな翼はねをふるはしてゐる

青空文庫より

■本曲の主題は太陽…

○蝶に憧れたのか、それとも「外」へ憧れたのか

美しい蝶がいます。体を燃やしながら、変えたての白熱電球のように明るい蝶。蝶は大きく羽を広げて、人々の頭上を飛んでいきます。砂漠や海原を越えて、その鱗粉を大地に注ぎながら。それは、僕たちがこの地上で暮らすずっと前から、気が遠くなるほどに繰り返されてきた営みで、これからも、きっと半永久的に続く不変です。人と違って決して変わらない。僕はいつでも、蝶が羨ましいと、そう思っています。

ヨルシカ - 太陽(OFFICIAL VIDEO)概要文より

n-bunaさんはこう言っている。

が、果たして本当に「蝶」である必然性はあったのか?というところ。

○イカロスの翼(ギリシャ神話)

イカロスは「閉じ込められた檻から空を飛んで脱出したい」いう願いから、共に幽閉されていた父のダイダロスに鳥の羽根を蝋で繋ぎ付けてもらった翼を授かって、飛ぶことは出来たが、過信から太陽に近付きすぎて熱で蜜蝋が溶けて墜落する。

〇ピンクスパイダー(hide)

張り巡らせた糸という自分のテリトリーが世界の全てだと思っていた傲慢(に見える)蜘蛛が鳥に唆されて空(という自由)を飛びたいと思ったが、「行けないし自由にはなれない」と悟り絶望する。

こう見ると、どうやら「自由」に憧れているが、かなり慎ましやかなのが今回の「蝶を夢む」。

鳥ほどの自由も高さも要らないけど、邪魔をされずに飛びたいというところが「蝶」を選ぶ理由なのだろう。


■曲調

ベートーヴェンの月光インスパイアが見て取れるが、あんなに三連符を利用していないので、現代的ソナタみたいなとっつきやすさ(これがヨルシカらしさとも言える)があり、耳心地もよい。
suisちゃんの抑揚の効いたヴィブラートを相俟って、バラードとして完成度が高い。この子の歌唱法にはまだ引き出しがあるのか…


■この曲を聴きたいシチュエーション

気持ちが落ち着かない時にイヤホンで音を小さめにして、読みかけの小説やエッセイを深読みせずに消化しながら温かい飲み物を飲む。少し眠くなったらお昼寝。

つまり、ミュージックセラピー効果があります。BPMと曲のテンポが非常にマッチしていて落ち着くというのはヨルシカの曲では結構あるんだけど、これはその中でも最高傑作かもしれない。


■おわりに

深読みしようとしたけど、深く読む必要が無い曲だなと思ってからは完全に空気のような曲(勿論良い意味で)として聴いています。
歌としては暖色なんだけど、suisちゃんの清涼感と合わさって浮遊感もあるというヨルシカらしい曲なので安心して聴けますね。大音量で聴くような曲でないことだけはご注意を。


ではまた。

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