Dying Lightの盗賊たち【第2話】
二人は琉樹が一年前に辞めた配送業の会社で知り合った。琉樹の勤務する集配センターは慢性的な人手不足を埋め合わせるために、大学生が数多く登録している派遣会社から短期アルバイトの派遣を要請するのが常となっていた。残念なことに、周りをサトウキビ畑に囲まれたこのトタンぶきの配送センターには、コミュニケーション能力に難があり、始業時間を守らず、覇気がなく、そのくせ社員に聞かずに仕事を勝手に進める謎の積極性を遺憾なく発揮するという、いわゆる「使えない」とカテゴライズされる学生ばかり派遣される傾向にあった。基本的に短期アルバイトが指示待ちなのは事業者側として全く問題なく、こちらが指示する単純な業務だけに専念してもらえばそれでよいのだが、この学生たちはと言えば、沖縄本島北部の店舗に送るべき荷物を独断で那覇行きの貨物台車に置くといったたぐいの問題を何度も起こしていた。社員の指示はミーティングでしつこく繰り返されていたにもかかわらず、である。
そんな「使えないヤツ」ばかりよこされるハメに遭い続けていた配送センターに、カズアキが派遣されたのは琉樹が仕事をやめる三カ月前の、十一月のはじめであった。カズアキは前述の学生たちとは明らかに違っていた。始業時間を守る。ミーティングで指示された内容をメモし、遵守する。分からないことがあったら自分から聞く。一週間もたたないうちに、評判の短期アルバイトとなった。また、如才ないコミュニケーション能力をもってして、あの気難しいセンター長と喫煙所で冗談を言い合う仲になったりもした。涼しげな一重の眼と色白で肌荒れしていなない顔は、少ない女性スタッフの隠れた人気の源泉となっていた。
一方琉樹はといえば、小さなミスを頻発する、ややもすれば「使えない」と評価されがちな新卒二年目の社員であった。最近の若者は打たれ弱いと心得ているらしい直属の上司は、面と向かって叱責はせず、淡々としたミスの指摘と再発防止のアドバイスだけを立場上伝えるにとどめていた。近年のハラスメントに厳しくなりつつある社会の風潮を踏まえると、非常に良い上司といえるだろう。しかし、琉樹はといえばその上司の言葉の節々に自分が期待されていないことをひしひしと感じとっては、勝手にふてくされていた。一応は給料をもらっているので、就業時間内はちゃんとやっている風に働き、繁忙期には残業もこなす日常を送っていたが、そのあいだにも自分の職業に対する熱意はだんだんと失われていった。
カズアキが来てから一か月のあいだ、二人は軽くあいさつを交わすだけの関係だった。琉樹がカズアキのことを避けていたのかもしれない。無能な自分と違って、短期アルバイトの立場ながら直属の上司からセンター長にまで気に入られ、社員になってほしいと皆に期待されているカズアキに対する、嫉妬の感情がなかったといえばまったくの嘘になるだろうが、琉樹はけっして自分の嫉妬の感情を認めようとはしなかった。
配送センターの全員が繁忙期を意識しだす十二月の初め頃、琉樹が昼休みに敷地外の移動販売車へ弁当を買いに赴くと、行列の最後でカズアキがごそごそと財布の中を探していた。
「仲村さんすみません。小銭ないっすかね」
「あっ、ハイ、ありますけど……」
「両替してくれないすか?」いいっすよ、と琉樹は財布から五百円二枚を渡した。
「マジで助かりました」カズアキが千円を渡す。移動販売車は五百円ちょうどの値段の弁当で揃えられている。別に両替しなくても御釣りくらい出すだろうになぜ?と琉樹は訝しんだが、後になって考えるとしゃべるきっかけが欲しかったのだろうと一人合点した。
「俺の車で一緒に弁当食べません?」カズアキの提案を最初断ろうとしたが、運送ドライバーの先輩社員が仮眠を取っているため、細心の注意を払わないといけない休憩室で食べるよりはマシだと思ったので、琉樹としては珍しく職場の人間の誘いに乗った。
社員用の駐車場(本来なら短期アルバイトは別の駐車場だが、空きがあるのでカズアキだけ駐車が許されていた)に停めた軽自動車のバンの中で、二人はセンター長と琉樹の直属でないもう一人の上司の関係が最近険悪になりだし、職場の雰囲気が悪くなっていることを話題に、たどたどしい会話を始めた。「ちょっと音楽かけていい……すか?」カズアキがタメ口気味になりかけながらエンジンをかける。少しのタイムラグの後に琉樹も好きなアメリカのオルタナティブ・ロックバンドの曲が流れた。「えっ、菅井さんも、この曲好きなんすか?」うねるようなスラップベースと、「枯れたような音色」と評される天才ギタリストのリードギターを聴きながら、二人は音楽の話で盛り上がった。
その日から二人は打ち解けて、下の名前で呼び合う仲になった。琉樹が二つ下と知ってからは、カズアキはタメ口で話しかけるようになった。休日には二人きりで、カズアキの住む那覇のアパート近くのバーで飲んだりした。
「琉樹さぁ」モスコー・ミュールを傾けながらカズアキが訊く。「正直今の仕事あんま好きじゃないでしょ?」
「そうっすね、本音はいつか辞めたいです」琉樹がチェイサーに頼んだウーロン茶を受け取りながら答える。久しぶりに飲んだからか、かなり酔いが回っていた。
「顔に出ちゃってるよ、働きたくねぇ~ってさ。まぁアルバイトの俺が言うのもなんだけど」
「確かにそうかもしれないです」据わった眼でカズアキのほうを向き、琉樹は言った。
「正直、どうでもいいかなって。職場でどう思われても」となげやりな気分で開き直る。
「カズアキさんは社員にならないんすか?」琉樹は仕切り直しのように問うた。
「うーんどうだろ」カズアキは先週派遣会社の所属から、時給二百円アップという破格の条件のもと、会社が直接雇用するアルバイトとなっていた。「社員にはならないかなぁ。人間関係わりとグチャグチャじゃん、ここ。特に古波津さん見てるとさ。あんなに優しい仏のような人がセンター長にネチネチ言われないといけないの、異常だろ」古波津とは琉樹の直属の上司である。
「でも、本当の理由はそれじゃなくて。やっぱ金だな。金は大事だよ、マジで。これっぽちの給料じゃ俺は満足できない。もっと稼げる仕事したいなぁ。かといってマルチ商法とか情報商材には手をだしたくないけど。ハハッ。えっ、もうラストオーダーですか、時間が経つのは早いね」カズアキと琉樹は最後のドリンクを頼んだ。「とりあえず、そろそろ俺このバイトやめようと思ってるから」
「えっ、初めて聞きました」琉樹の酔いがはっと醒めた。
「まだ誰にも言ってないけど。お前が初めてだな」お前もこれで共犯者になったな、とでも言いたげな笑みをカズアキが投げかけた。
三階にあるバーを出て、外付けの階段から飲み屋街を見下ろすと、忘年会帰りの社会人や大学生が連続性を持った点の群れとなって、歩道に溢れ返っていた。路肩にはタクシーが並び、普段はおとなしそうなルックスの女性が、酩酊ゆえの奇声を発しつつ、前髪多めで線の細い優男の肩にもたれかかっている。
二人はカズアキのアパートの方向まで歩く途中、雑居ビルとコンビニの建物の隙間に、作業服姿の中年男性が寝ているのを見つけた。
「寒くないんですかね?」
「さぁ。バカだから寒くないんじゃないの」カズアキは念のため小声になった。
「かわいそうに。財布盗られるな、あの姿だと」
「盗りますか、二人で」明らかに冗談とわかる声で琉樹が稚拙な犯罪計画をもちかけた。
「冗談でもやめとけよ、沖縄の警察って意外とアホじゃないからさ、そういうの結構な確率で捕まるらしいぜ」呆れた笑いとともにカズアキが諭した。「前のアルバイト先に酔っぱらって寝て財布盗られたヤツがいて、どうせ犯人は捕まらないと諦めていたけど、わりと早く捕まったらしい。北海道の警察はアホだから捕まえきれないだろうな、こういうの。まぁ、北海道だと酔っぱらって外で寝るやつはめったにいないけどね。ガチで凍死するし」二人は顔を見合わせながら爆笑した。
「カズアキさん北海道出身なんすか?」
琉樹は新鮮な疑問をぶつけた。そういえばカズアキの詳しいバックグラウンドについて、県内の国公立大学を休学していること以外、あまり知らなかったのだ。
「あれ、俺言ってなかったけ?高校は札幌で、中学まで小樽」こともなげな回答が、赤と黄色の光が交差しながら交互に点滅する午前零時の交差点に拡がっては消えた。二人はそれぞれの家路についた。
正月気分がようやく抜けはじめる週に、カズアキはアルバイトを辞めた。当然ながら慰留はものすごいものだった。本社から人事課長が来て、幹部候補として採用したいとアルバイトとしては異例の条件を提示し、攻勢をかけたが、彼の意思は固かった。直属の上司である古波津はどことなく寂しそうな顔をするようになった。休憩室のロッカーに置き去られたカズアキの手袋は、お前一番仲が良かっただろ、ということで琉樹に押し付けられた。LINEで手袋をどうするか聞くと、別に捨ててもいいよ、と深夜に返ってきた。
張り合いのない琉樹の日常が戻ってきた。
相変わらず小さなミスは続いていた。とうとうセンター長室できつく詰められたときは、まったく成長しない自分がさすがに情けなくなったが、段ボールをきれいに四つ切りで積んでラップをかけたパレットをフォークリフトで運ぶのに集中していると、どうでもよくなった。
それから一カ月後、またもや仕事上の不注意のせいでセンター長に叱られた。激昂したセンター長の発した「菅井じゃなくでお前が辞めればよかったのに」という鈍刀で切りつけられたような衝撃を与えるセンテンスに対して、琉樹は「じゃあ辞めますよ」と何かを諦めたような抑揚で返し、ドアを強く閉めた。翌日から琉樹は出社しなかった。
一応退職の手続きをするために本社の総務部に来ると、上司の古波津がわざわざ来てくれていた。持ち前の柔らかい口調で「辞めることはないんじゃないか?あのセンター長も反省してるよ、珍しく」と声をかけてくれたが、やがて琉樹の意固地になった様子に気づき、「そうか、しょうがないな。次の職場でもがんばれよ」とこの未熟な部下の愚かな決断を認めてやるような励ましにアプロ―チの方向性を転換した。(いや、カズアキさんのときみたいにしつこく引きとめてくれよ)と理不尽な欲求を琉樹はこの温厚な上司に抱いたが、どうしようもないので、手続きを済ませたあと、最後のお礼を言い、すぐに原付バイクにまたがった。
晴れて無職となった琉樹は、さっそく酒とタバコとユーチューブとソーシャルゲームに彩られた自堕落な昼夜逆転生活にどっぷりと漬かった。琉樹の母は当初いたく心配して、メンタルクリニックの受診や、失業手当を貰いながらの職業訓練をしきり勧めたが、琉樹は取り合わなかった。(俺は病気じゃないし、ハロワ行くほど落ちぶれてないばーよ)という若さゆえの自己過信が琉樹の考えの底にあったのだ。やがて母は何も言わなくなった。それだけでなく、二年制の専門学校に行かせたのが悪かったのかしら、と自分自身を責めるようにもなってしまった。
カズアキからの連絡が来たのは、その膿んで腐れたモラトリアム・ライフに琉樹が焦燥感を抱き始めた四月の終わり頃だった。四年制大学にストレートで進学した高校の同級生がクリエイティブな雰囲気の企業で働き始め、文の最後で彼女との同棲を匂わせている内容の投稿をフェイスブックで読んでは、俺はまともな人生が送れるのだろうか、と不安になった。とりあえず例の派遣会社に登録したが、辞めた職場での業務内容によく似た倉庫での短期アルバイトをオファーするメールしか配信されないので、メールアプリを開くのさえ億劫になった。さりとて仕事を探さないわけにはいかぬが、さてどうしたものかと全く関係ないポルノ動画サイトを眺めていると、LINEの通知がきた。カズアキからだ。
“仕事辞めたってマジ?”
“はい”琉樹は瞬時に返した。
“マジか(困り顔の絵文字)古波津さんから聞いた”
“どこで会ったんすか”
“実を言うと辻でばったり遭遇して”琉樹は久しぶりに「辻」という漢字を例の有名な風俗街の地名として認識した。“いや古波津さんは譜久村さんの付き合いで冷やかしに来ただけだったんだけどね”譜久村は本社の人事課長の苗字だ。
“今ひま?仕事探してる?”
“いちおう探してますけど、あんまやる気出ないですね”
“じゃ俺の手伝いしない?いま自分自身で仕事を請け負って、自分でバイトしてるのよ。いわゆるフリーランスみたいなもんだな”
そのバイトの内容にがぜん興味が湧き、琉樹は二つ返事でその申し出を受けた。
琉樹は原付バイクでカズアキの指定する場所へ向かい、手伝うようになった。最初はイベントの屋台の店員だった。米軍基地内でのお祭りでは、Tシャツ姿の筋骨隆々とした米兵が、尻ポケットから直接取り出す若干汗に濡れてクシャクシャのドル札で代金を支払うのには少々辟易した。基本楽な業務で日給は一万円と時給換算しても割高だった。琉樹は久しく得られなかった疲労感と達成感のおかげで、質の良い睡眠をとることができた。
夏が訪れると、公園や催事場といったイベント会場ではなく、港近くの煤けた貸倉庫へと通うようになった。
「これ中身なんですか?」前の職場で嫌になるほど見た段ボールの集合体を前にして、琉樹は質問した。
「あぁ、コレ?あんまり大きな声で言えないけど」カズアキは手前の段ボールから中身を取り出した。「絶賛高騰中のコレだよ」それは今話題の高性能ゲーム機だった。
「極秘のルートで仕入れた」
琉樹はあぜんとした。そしてすぐに今回の「仕事」はずばり「転売」だと悟った。
琉樹はもやもやした気持ちを胸にしまいながら、カズアキの指示どおり配送先別に仕分け作業をした後、バンに積み込んだ。
「仕入先知りたい?」カズアキが珍しく無邪気な様子だ。「後で教えるよ。運転中に」琉樹は仕入先より、コンプライアンス的な問題のほうが気にかかっていた。
「神崎さんといって、前行ったバーの常連なんだけど、いや、ヤバい人ではない。いわゆる反社会的な団体に属する人ではないよ。基本一匹狼で行動している人っぽい。こういうグレーな、だけど割のいいバイトを紹介してくれるんだよね」(っぽい、ってなんだよ)と琉樹は内心突っこんだ。「でもめっちゃタトゥー入ってたな、襟からチラッと見えたんだよな」タトゥーに対する偏見も手伝って、配達中ずっと重い鉄の固まりのようなものが琉樹の胸を支配するようになった。「もしかしてビビってる?大丈夫だって、こういうので怖いのは警察より税務署らしいぜ。留置所に行くことはないんじゃないの?」
南は八重瀬町から北は石川まで一日かけて「配達」し終えたあと、琉樹は四千円を受け取った。「ごめん、神崎さんに払わないといけない分が多くてさ」いわゆるロイヤリティのようななものだろう。労働らしい労働はバンに積み込むくらいのものだったので、金額に不満はなかった。問題は別のところにあった。
「本当に大丈夫なんですか?」
「わかったわかったよ。もし万が一ヘマを踏むようなことがあっても、お前は関係ない。仲村琉樹は何も知らなかった、ドライブに付き合ってただけ、と俺がしっかり言うよ。」
吐き捨てるような音の強さとスピードに、子どもをなだめすかすような情感が乗った言葉の連弾が、眉間にしわが寄ったカズアキの顔から発せられた。琉樹は納得した風の表情で返事をした。もちろん不安感は消えなかった。だがカズアキに対する不信感は不思議と抱かなかった。わざわざこんな話し相手もろくにいない、無精ひげがびっしり生えている清潔感のない二十三歳の無職を雇ってくれるのは、冷静に考えてカズアキさんしかいないし、本当にありがたいことだと思い始めていたからだ。家まで送ってもらう途中ずっと、カズアキの方向へとつづくこの感情を、“慕っている”と呼ぶことができるだろうか、と琉樹は頭の中で検討し続けていた。そして小学校のころ入っていたサッカークラブに毎週金曜日ゴールキーパーを指導しに来ていた当時二十代前半の優しい青年に、この種の感情を抱いていたことをふと思い出した。いま思うとあの青年は謎が多く、何の職業をしていたのか今となっては見当もつかないが、雰囲気はなんとなくカズアキさんに似ているな、と結論じみた感想で少し長い黙考を終えた。
二人は転売のアルバイトを、九月末までに十一件こなした。件数をこなすうちに、琉樹の胸の内の懸念や罪悪感はかき消され、むしろ楽しささえ感じた。配達する物は途中から新型ゲーム機からスニーカーに変わった。琉樹に支払われる報酬は下限が四千円、上限が八千円だった。それらはすべて携帯料金と、アルコール度数強めの缶チューハイやメンソール入りのタバコに消えた。
十月になると、“俺これからチケットの転売やるから手伝い必要ないわ。ごめんな(手を合わせている絵文字)古本のせどりのノウハウなら教えてやるから気になるなら俺の家に来てもいいよ”という文言のLINEのメッセージが深夜二時に来た。琉樹はついに俺は見捨てられたかと一人合点して、むなしい気分になった。俺がボーッとしてお荷物だったからだろうか?それとも車内で話すヒップホップの話にいまいちついていけなかったから?酒を飲んでも眠れず、やり場のない感情を足に込めて布団を蹴り続けていると、夜勤から帰ってきた母親に「うるさい、眠れないからやめなさい」と注意されたので、素直にやめた。
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