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Dying Lightの盗賊たち【第4話】

 アパートのアルミサッシの窓枠からのぞくモクマオウの樹が、地面に対して垂直に立ち昇る黒い焔の柱へと変わり、夕暮れが近づく空に油のように浮いている錠剤色の雲の底を溶かしている。琉樹は二日酔いで痛む頭を左手で支えながら、静止画のように窓に嵌め込まれた外の風景を見つめていた。
 散らかった部屋の畳の上に、ハードカバーで装丁された、とある劇団のファンブックが無造作に置かれている。宜野湾市長田のブックオフにて一目ぼれし、千円で購入したものだ。この劇団は、琉樹の好きなドラマを手掛けた売れっ子脚本家が所属していることで有名である。琉樹は演劇に全然詳しくないが、ファンブックに載っている、著名なバイプレイヤー俳優が舞台の上ではっちゃけている瞬間のスナップ写真を見ると、俺も生でこれを観たい、と久方ぶりの能動的な欲求が生まれてくるのだった。
 東京に旅行したい。と琉樹は強く思った
 しかし彼の口座には一万二千円ほどしかない。これでは往復の飛行機運賃にも足りないだろう。タバコと酒をのべつまくなしに買っていたら金欠になるのはあたりまえである。節約しなければなぁ、さてどうしたものか、とうだうだ思案していると、琉樹の母が帰ってきた。
「あんたさぁ、そろそろ家にお金入れてくれない?」昨日作った骨汁を温めながら、母はいつもとは違う口調で話を切り出した。
「なんで?」
「なんでってあんたさぁ、ここに居て何も手伝わずに食って寝てバイトして酒飲んで、家賃や電気代だってタダじゃないんだから」
「いやだ」
「いやだって、あんた子供じゃないんだから。バイトしてるんでしょ?月に一万円くらいでいいから」
「なんでそんな急に。俺だってやりたいことがあるから金を貯めているのに」
「急にって、あんたアホじゃないの?普通実家に住んでる成人した男は家にお金入れるもんです。人として当たり前です」母は語気を強めて早口でまくしたてた。
「職場では夜勤減らされてさ。陽樹は教科書代二万円送ってくれって言うし。陽樹はまだ大学生で未来があるからいいけど。あんたはスネだけかじって建設的なこと一つもしないし。とにかくお金が足りないのよ。お金入れないんだったら出ていって」
「わかったわかった。出ていけばいいんだろ。出ていくよ」琉樹は箸を机に叩きつけ、家を出た。アパートの一階と二階の間の踊り場の通路灯に、蛾が何度もぶつかっていた。すぐ前のカーブミラーの表面を、「青少年非行防止見回りパトロール」のステッカーをつけた軽自動車の青い回転灯がすべっていく。窓から見えたモクマオウの木は、この夜の闇をさらに煮詰めて濃くした空気をまとって立っていた。
 なんで俺はああいう風にブチ切れてしまったんだろう、母相手ならなおさらひどい、と自責しつつ琉樹は住宅街をさまよっていた。ポケットにはタバコと安物のライターと近くのコンビニにて千円余りで購入したイヤホンとスマートフォンしかなかった。家出したのに財布を取りに家に戻ることほど恥ずかしいことはないな、と彼は思った。もっとも財布には現金千円ちょっとしか入っていない。これではマンガ喫茶で夜を明かすこともできないだろう。
 やがて琉樹の眼に悔し涙が浮かんできた。自分は自分自身の感情をコントロールすることができない、どうしようもない人間だ。情けない。母の言うことにも一理ある。一理どころではない。それに、今のモラトリアム生活を続けた結果はだいたい予想がつく。彼が叔母から貰った島野菜を包む古新聞の記事に載っていた、8050問題というのが末路だろう。とりとめのない考えが彼の歩行を進める。いつのまにか、アパートのある高台のへりにある公園にたどり着いていた。
 路上生活者除けの仕切りが付いたベンチの端に座り、タバコをくわえながら、琉樹は今後のことについて考えた。とりあえず、家に金を入れるためにアルバイトを増やす。それは既定事項として、自分自身にずっとまとわりついているこのなんとも言えないダルい空気がサッと消し飛ぶような強烈な体験をしたいとも思った。琉樹は自分の人生を振り返ると、自分の高校時代は部活もやらず、友達も少なく、勉強に打ち込むわけでもなかったことに気づいた。
 何か俺にも、夢中になれるものが欲しい。『夢中になれるもの』というフレーズのありきたりさに一瞬自己嫌悪をおぼえつつ、琉樹はあの劇団のファンブックを思い浮かべた。それはただちに彼自身が演劇を志したということではなく、生の強烈な体験をしたいと欲求のあらわれであった。東京に行きたい、と彼は再び強く思った。東京に行っていろんなハコでいろんなバンドを観たい。演劇も見たい。ついでにうまいものも食いたい。彼の能動的な欲求は膨らんでいった。もちろんそのためにはカネがいる。
 琉樹はタバコの煙の行く先を目で追うと、白やオレンジ色の光が溢れる工業団地に蔽われた埋立地があるのに気づいた。カズアキが持ちかけた怪しいアルバイトの舞台となる医薬品の倉庫が立地している埋立地だ。埋立地の夜景をなんとなしに眺めていると、琉樹は「泥棒」というほかない例のアルバイトに対する自分の恐怖心や罪悪感が、いつの間にかなくなっていることに気がついた。―「絶対足のつかない計画」―カズアキが国道沿いのマックの駐車場で繰り返した言葉を、彼は頭の中でくどいほど復唱した。
タバコを一本吸い終えた琉樹は、排水溝の蓋の鉄の格子に火種の残ったままの吸い殻を捨てた。今まさに死へと向かっているオレンジ色の火種が、黒々とした排水の水面へと吸い込まれていく。そしてポケットからスマホを取り出し、カズアキのLINEに“AM”と送信した。遠くの救急車のサイレンが夜の空気をかき回している。公園に植えられたフクギからコウモリが飛び立ち、外灯の光源を一瞬だけ隠した。


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