べてるの家のオンラインマガジン「ホップステップだうん!」 Vol.304
・お山の樂校 江連麻紀
2019年に開校した福岡県糸島市にあるフリースクール「お山の樂校」に伺わせていただきました。今回は3度目の来校でしたがやっぱり絶景にうっとりしました。
昼食後の子どもたちに「研究しないー?」と聞いて集まった8人で子ども当事者研究がはじまりました。時々ニワトリも来ていました。
持ちよったもやもやの中から「メールの返信がなくてちょっともやもやしてる」というテーマで研究しました。「みんなもやもやするときや落ち込んだときってどうしてる?」と質問するとたくさん答えてくれました。
「おいしいもの浮かべる。私はフルーツが好きでフルーツ、フルーツ、フルーツっていうと良かったよ。」
「テンション上げるためにテンションの高い人の近くにいく!こうゆうときKくんだとテンション高すぎるからKちゃんがいいよ!」
「梅干し食べるとすっぱいし美味しいから忘れる!」
「一日たってもまだ嫌な気持ちだったら直接その人と話す」
「ちゃんと落ち込むのが大事。」と教えてくれたのはKくん。お山の樂校でみんなが見てひと目でわかるくらい落ち込んでることが時々あるそうです。
「自分のダンス動画を見る!」と教えてくれた子もいました。楽しかったときの動画を見ると楽しい気持ちまで思い出せそうです。
子どもたちはもやもやに対してすでに自分で編みだした様々な工夫を実践していました。お山の樂校では「生活を共にする」を大切にしているからか他者とも自分とも折り合いをつけていくことを日々積み重ねていそうでした。
私も子どもたちを見習っていきたいです。
お山の樂校はこちらのURLからご覧ください。
・文/写真:江連麻紀
べてる創立40周年ムービー
・応答せよ、大人たち。子ども当事者研究のすすめ2 コトノネVol. 51
特集に「応答せよ、大人たち。子ども当事者研究のすすめ2」が掲載されています!
コトノネHP(送料無料)
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・日本精神障害者リハビリテーション学会 第31回東京お台場大会のご案内
学会名称:日本精神障害者リハビリテーション学会 第31回東京お台場大会
テーマ:多様性と調和 ~台場シティで調(ととの)う~
会期:2024年12月14日(土)~15日(日)
会場:東京有明医療大学(〒135-0063 東京都江東区有明2丁目9番1号)
参加者数:約1,200名
開催目的:本会は精神科リハビリテーション学に関する研究発表、連絡、提携、及び研究の促進を図り、これらの進歩、普及に貢献することを目的とする。
大会長:肥田 裕久(医療法人社団宙麦会ひだクリニック 理事長/院長)
副大会長:角田 秋(東京有明医療大学看護学部看護学科 教授)
佐々 毅(医療法人社団宙麦会ひだクリニックお台場 院長)実行委員長:中田 健士(株式会社МARS 代表取締役)
主催:日本精神障害者リハビリテーション学会
・参加登録受付中!
精リハ学会は、2010年に浦河でも開催した学会です。
今年の東京大会はべてるからもメンバー・スタッフがたくさん参加する予定です。みなさん、東京・有明(お台場)でもお会いしましょう!
●新刊「弱さの情報公開」
2023年10月発売の最新書籍です。
2020年に発売しご好評をいただきました「弱さの研究」の続編。
不寛容な社会での孤立と孤独「つながり」を考える。
一部では、カーリング日本代表の吉田知那美選手とべてるの家の人や
向谷地生良氏との「強さと弱さ」についての対談。
二部では人と人の「つながり」を各章で考察、依存症、認知症の孤独について、本当の「つながる」ことの意味を考える。
<目次>
まえがき―「弱さの情報公開」の源流
一部 弱さの情報公開
一章 弱さの情報公開
二章 弱さを認める
三章 行き当たりバッチリ
二部 つながる
四章 わたしが「ダメ。ゼッタイ。」ではダメだと思う理由
質疑応答
五章 「認知症と繋がる」ということ
六章 あいだは「愛だ」
七章 地域と人と苦労で繋がって(向谷地生良氏最終講義)
●大反響増刷中!
『子ども当事者研究 わたしの心の街にはおこるちゃんがいる』
本体価格:990円+税、出版社:コトノネ生活
・「北のバラバラな日々」(57)笹渕乃梨
笹渕乃梨(ささき・のり) 自己病名は『境界線ぐちゃぐちゃ症候群サトラレ型変化球言葉タイプ(現在は枯れている)』
北海道で小学生の娘と二人暮らしをしている。趣味はゆるめの野遊び、スキー、工作、手芸など。精神科のお医者につけてもらった病名はうつ病とADHD。現在は無脳薬で約3年。
「子ども当事者研究」、「子育て当事者研究」、「なさ親」などで活動中。22年4月より「nasaLAB(なさラボ)」のWebラジオ「つまり、きりがないラジオ」パーソナリティ。
「nasaLAB(なさラボ)」の登録はこちら↓
・ありす便り 〜ブルーインパルス(The Blue Impulse)〜
やっと真夏日が収まって、秋が深まってきましたね。日々の気温差がはげしいですが、みなさん体調は大丈夫ですか?
先日埼玉県狭山市にある航空自衛隊入間基地にブルーインパルスの航空ショウを見に行ってきました。
ブルーインパスルはご存じの方も多いと思いますが、航空自衛隊に所属する曲芸飛行に特化した精鋭の飛行部隊です。
基地は7時半に開門です。私は朝6時15分に池袋に集合しました。
さて、基地に着くと既に大勢の人たちがまとまって会場めがけて歩いています。みんな、早起きだなぁ。でも、その時の私はブルーインパルスをじかで見る、と言う本当の意味をわかっていなかったのでした。
風が寒いので思わず売店でパーカーを買いました。なんだかお祭り気分です。
メインエリアには飛行機がいくつも展示してあってみなさん本格的なカメラで写真を撮るのに夢中です。
私たちも撮りました。しかし、だいぶ混んできたので良さそうなところで座りました。椅子もシートも禁止です。タオルをビニール袋に入れてそれをクッションに座りました。
9時過ぎから少しずついろんな飛行機が飛び立ってその姿を見せてくれます。みんなの手がにょきにょきと伸びて手の先にはカメラかスマホ。写真撮りのオンパレードです。
それもひと段落して12時前。ブルーインパルスは13時から始まります。
人はもう後ろも見られないくらいです!アナウンスで、メインエリアに入れない人がいるので立ってみてくださいと放送していました。すごいです。
それぞれ買い物行ったりタバコ吸いにいったり。私はお手洗いに行きたかったけど、場所どりのために誰かが帰ってくるのを待つことに。
しばらくすると、係の人が
「ここをブルーインパルスのパイロットが通るので開けてください!」
と場所を開けさせられました。偶然にもパイロットさんの花道に座っていたのです。
パイロットの人たちが一団となって入ってきました。ブルーの制服。カッコいいです。女性もいます。みんな拍手です。男の子が
「パイロットさん!」
と叫びました。
「整備士なんだけどね。」
中の一人の方が言いました。なんとみんなで拍手していたのはブルーインパルスの整備士さんなのでした。
花道がはけて、もう一度、また花道が作られました。今度こそ、本物のパイロットさんたち。
確かにみな手にヘルメットを持っていました。こんなに間近に見られるなんて、なんてラッキー。割り込む人もいたけど、なんのその。ますます期待が募ります。
13時になってショウが始まりました。
残念ながら、私たちの座っていたところは離陸が見られない場所だったので、整備しているところとかはアナウンスを聞いて想像していました。整備士さんとパイロットさんがワンチームとなって念入りに整備が行われてるようです。
ついに離陸となりました。滑走路を走る距離が短い。次々に飛び立っていきます。
かっこいい!!
ブルーの機体がまぶしいです。
それからはブルーインパルスの一人舞台(6機ですが)。本当にいろんな飛行を見せてくれました。スモークも出るし、急に上昇したかと思ったら急降下しながらのきりもみ飛行。落ちないかとヒヤヒヤです。
低空飛行で逆さまになって飛んだり。2機でスモークで大きなハートを書いたり。ハートには矢が刺さっています。星形もきれいでした。しかも、星のとがったところが先に出したスモークとピッタリと重なるのです。
すごい!!
1時間、みなさん棒立ちでかしゃかしゃ、もう夢中になって空を見上げていました。拍手も何回も起こりました。
終わったら興奮で
「すごかったね。すごかったね。」
みんな大満足の笑顔です。
ただし、ここからが大変なのでした。祭りは15時まであるのですが、多くの人はブルーインパルスを見たら帰ります。
その移動がもう、微々たるもので、前に進んでいるのか、止まっているのか、圧死しないだろうか、と心配になるくらいの人口密度でした。
とにかくもう、急ぐこともできないので、皆の流れに任せて遅々と帰り道を進んで行きました。
翌日、入間航空祭は25万人が来場していたと聞いて、びっくり!!!
そんなにたくさんの人あの場所に集まったんだ。そんなにたくさんの人がいたからあんなに進まなかったんだなぁ、としみじみ。
ブルーインパルスと25万人の集団。
初めてのことで2度驚くありすなのでした。
今、あの時きたパーカーを着ながらこれを書いています。
ブルーインパルス、ありがとう。
ありす
1992~2004年までニューヨークで暮らす。保護猫を飼う。大学で映画学科を学び、修了後TVプロダクションで働く。帰国後べてるの家を知り、べてらーとなる。べてる留学2回。好きなこと:映画鑑賞、バレエ、犬、猫と遊ぶ、TVドラマ鑑賞。最近麻雀を始める。
・続「技法以前」 237 向谷地生良「『笑い』の力 〜ユーモアの大切さ〜」
私自身の「ユーモア-にもかかわらず笑うこと」の源流の一つにあの強制収容所を生き抜いたV・フランクル(1905年ー1997年)があります。
特養に住み込みをしながら大学に通った学生時代に恩師から紹介された「夜と霧」(みすず書房)が最初の出会いでした。
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