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生きる究極、それはエロスである

何万年も前、私たちの祖先は現在の私たちが想像を絶する程、
自然と深く親密なコネクションを持っていた。

彼らは母なる地球を、
官能的な存在として受けとめていたのではないか。
私たちの祖先たちはエクスタシーを
ベースとしたコミュニケーションを、
地球ととっていたのではないだろうか。


実際、隆起した岩や山、そして自然が創り出した造形には、
性器を彷彿させるものが世界各地にある。

こうした場所はゼロ磁場であったり、
聖地と呼ばれ人々を魅了し、
また強い磁力で人々を引き寄せてもいる。


自然の中を無心に歩いていると、
彼らと地球の堅く蕩けるようなコネクションを
私もまた、感じる。
心と体がひとつとなり、
研ぎすまれた5感が知覚する世界に、
私は次第に溶け込んでいく。


それは、愛する人とひとつになるような感覚に似ていると思う。



世界各地に残される土着的な信仰や、
自然神への崇拝が根源となる宗教は、
祖先達の大地との深いコネクションなくしては成り立たない。


そしてここに現れる神と女神は、
意識が変容したエクスタシーの状態にあってこそのみ、
智覚することができる。


すべてはひとつという恍惚の中に、神性を経験するからだ。



地球が持つ万物を創り出す力や、
生み育てるエネルギーを、
サンスクリット語でシャクティ(Shakti)という。


シャクティは女性性のエネルギーだ。


アイデアも計画も、この胎内で生命を育むような
女性性的エネルギーがあってこそ、
発展させ現実的なカタチを創り上げることが可能となる。
(勃つだけでは何も生まれないのと同じですね〜笑)


自然のエロスとは正に、シャクティのエネルギーそのもの。



私たち人間にも、地球と同じエネルギーが備えられている。
このエネルギーは潜在的エネルギーと言われ、
尾骶骨の下で目覚めるのを待っている。


自然と一体である時、私はこの潜在的エネルギーである
クンダリーニが躍動するのを感じる。
カラダが熱く、背骨がブルブル振動する。


生きる躍動感と生かされている感謝が込み上げて、
私の身体を震わせる。


生かされていることに恍惚となる。
生きることの究極がエロスであることを感じてゾクゾクするのだ。



自分の「自」は「自然」を指している。

「自然から分れた」のが、
そもそも自分という存在である。

自然の一部である自分を忘れてしまうと、
人はバランスを崩す。果てに、
生きる価値を失う。


人間という存在のベースが家族であり、
社会や国家となるように、
生物としての人間は、
哺乳類であり動物であり、地球に生きる生命だ。


宇宙的に言えばもはやそれは、
地球という惑星の生命体の一部が人間なのだ。

大きな生命のウェッブを紡ぐ小さな命が、
自分という存在である。


人間は自然として生まれ、
自然に生かされて生き、
死して自然へと還る。

この命のサイクルを実感しながら生きることは、究極のエロスだ。


なぜなら自分という小さな存在をあらしめるために、
数えきれない生と死が紡いできた
生命のサイクルの根源にあるのは、
愛だと私は思うから。



Love is a Totality.


by Yogi Bhajan, the master of Kundalini Yoga


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