片隅のあはれ
note毎日投稿18日目は、世界の片隅のどこにでもあり、大概は素通りされてしまうけれど、毎回見つけたら個人的に心が少しだけ動かされるようなものを思い出して、幾つか羅列していきたいと思います。
・視聴覚室
結局この部屋が何をする場所なのか分からないまま23歳になってしまった。いつも教室が空いてない時の代わりの部屋として扱われ、何かの教科のためにある訳でもない、いわば学校の空き部屋扱い。''視聴覚''ってことはやはり、目と耳で学べる映像を扱った授業の専門の教室なのだろうが、そこら辺がなんだか切ない。これがもし仮に''味嗅覚室''という、味と香りが学べる教室だったら、まだ「いや、ここいつ使うんだよ!」みたいにネタにされて話題に上がるが、視覚と聴覚という割とメジャーな感覚器官を教室名として謳っている分、寂しさが増す。
・駅にあるジュース屋
いつも駅で見かけるけれど、一度も買ったことはなく、見るといつも何とも言語化し難い気持ちになる。カラフルな外装・内装をたたえているだけに、大勢の人間に素通りされているのが、何だか切ない。これが、''スーパーにたまにくるクレープのキッチンカー''とかになってくると、こっちはまだ地元の小さなスーパーでこじんまりとしていて、買う人も想像できるし、個人的にクレープならシンプルにちょっと買いたいから、逆にあんまり心がしみじみと動くことはないのだけれども、人目が半端じゃない駅で、しかも''ジュース''。やっぱりなんだか切ない。
・無人販売の冷凍餃子屋
ドライブしたら必ず一つは目に入ってくるけれど、いつも素通りするし、話題にもあげたことがない。街中で一番白いのではないかというぐらい、白く明るく、夏場の店内にはその明るさに吸い込まれたカナブンの死体が幾つか転がっている。これが、野菜の無人販売とかなら、こっちはまだこじんまりとしていて、畑の近くにあって、安くて、農家の方が育ててくれたものなので、血が通っている感じがあるけれど、あんな都会の喧騒の中で、24時間電気とクーラービャービャーつけて、大人気な餃子を無人で販売しているというところが、なんだか寂しい。