1850年頃というのが絶妙なのか。〜摘読日記_78
1850年頃の見つけたい写真って、なかなか見つからないものですね。
何の話かと言うと、相変わらず1850年〜1854年頃に存在した、幻の最初の上海競馬場の写真を探しています。
全貌が知りたい、馬がどんな風に走っていたのか知りたい、という目的はありつつ、もはや目的と手段(過程)がすり替わっている気もしています。
探すのが楽しい。。
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今日は、図書館でこんな本を見つけました。
上海の19世紀半ばから20世紀にかけての貴重な写真を集めた写真集です。
この本によると、上海で写真という文化が広まったのは、1844年にフランス人の写真技師がやってきて、写真館を開館したのが始まりだそう。
なので、私が探している1850年前後の写真は、非常に少ない、しかし全くないということもない、という何ともあきらめきれない絶妙な時代なのかもしれません。
この写真集には、何枚か競馬場の写真は掲載されていたのですが、全て1862年に建てられた3つ目の競馬場のものでした。
競馬場関連の新情報はあまりなかったものの、写真を見ると外側のコースがレースが行われていたコースだと思うのですが、南京路に接する部分に柵が設けられていて、どうもぐるっと回る周回コースではなかったようです。
まあ、この検証については、3つ目の競馬場は他にもたくさん写真があるので、比較的簡単そうです。
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この写真集には、他にも引き込まれる写真が多く。
書店が集中していた福州路の写真が載っていました。
他にも、租界の南にあった中国人の居住地、「上海県城」については、手書きの地図や、貴重な写真の数々。
2丈(約6メートル)の城壁に囲まれていた壁内の様子は何枚かの写真で紹介されていました。
城壁は、1913年に取り壊されたそうです。
少し前に読んだ、横光利一の「上海」は舞台が1925年ですが、上海県城や、その名残りの話は出てこなかったと思います。
いや、主人公の参木が、女性闘士・芳秋蘭と彼女の部屋がある街を歩くシーン、たしか外国人がいない街ーーと表現されていた。あれはひょっとして、この上海県城だったのかもしれない、などと思いました。