一昔前のレースをふり返る。(1996年・朝日杯)
競馬歴をたどってきましたが・・。
これまで、競馬を始めた四半世紀前からの記憶を一年ごとに記事にしてきました。
前回は2013年について書いたので、続いて2014年を、と思って書き出したものの、いまいち気が乗らない。
理由を考えてみるに、2014年というともう最近のことのようで、あまり思い出っぽく書く気にならないのでした。
それならむしろ、競馬始めたて、記憶の濃い1994-1996年頃のレースをピックアップして書いてみようと思いました。
前置きが長くなりました。
今回は、週末に施行される朝日杯にからめ、1996年の朝日杯について書いてみたいと思います。
佐藤哲三騎手・マイネル軍団のG1初勝利。
1996年の朝日杯を制したのは、佐藤哲三騎手に導かれたマイネルマックス。
佐藤哲三騎手は翌日に結婚披露宴を控えていたそうで、自ら花を添える見事なG1初勝利。
馬名に牡ならマイネル、牝ならマイネがつく、マイネル軍団・クラブ法人のラフィアンにとってもG1初勝利。
当時はマイネル・マイネの馬はG1ではね・・と、自分は軽視していた記憶が蘇りました。
超前傾ラップの面白いレース。
このレース、なかなか見応えがありました。
当時は中山競馬場での施行。
逃げたアサカホマレ、途中から先頭に立ち最後まで粘ったオープニングテーマがレースを引っ張り、ハイペースについていった先行勢はつぶれ、後方待機勢が上位入線。
ただ、オープニングテーマはぎりぎりまで粘り2着。上がりタイム39.2。
現在の競馬では、上がりタイム33秒台は当たり前なので、かなり時計がかかっています。
確かに、レースを久々に見ると、オープニングテーマはゴール前かなりバテた脚勢に見えます。
また、勝ったマイネルマックスにしても、キレキレの末脚を見せた、というより、残りの力を振り絞って根性で勝った感じで。
G1では中々珍しい感じのレースで、それも印象に残っている所以かもしれません。
内国産種牡馬、外国産馬、サンデーサイレンスにノーザンテーストの仔たち。
渋い内国産種牡馬の父を持つ馬が多いレースでもありました。
ランニングフリーの仔、ランニングゲイル。
サクラホクトオーの仔、キタサンフドー。
ビゼンニシキの仔、ハコネバンジョー。
アスワンの仔、パーソナリティワン。
内国産ではないですが、大種牡馬ノーザンテーストを父に持つクリスザブレイヴはノーザンテースト最後の大物と言われ、このレースでは1番人気でした。
私の本命がたしか、ブレーク中のサンデーサイレンスの仔、スターマイサドルでした。
勝ったマイネルマックスの父はブライアンズタイム。
サンデーサイレンスとブライアンズタイムはアメリカからの輸入種牡馬で、当時リーディングサイアーの1位2位だったと思います。
日本の渋い種牡馬vs米国産輸入種牡馬vs外国産馬、という構図があったとも言えそう。
結果は、ブライアンズタイムの産駒・マイネルマックスが優勝、2着はシーキングザゴールドを父にもつ米国生まれのオープニングテーマ。
馬の世界も格差社会?
1996年頃は、渋い血統の馬がまだ少なくない、最後の時代だったのかもしれません。
現在の競馬は、特にG1では大成功レベルの国産種牡馬の仔や孫が主流を占め、渋い血統の馬はあまり見かけなくなりました。
出走表の父の欄を見渡しても、あまりバラエティに富んでいる感じはなくなった気がします。
時代の変化を感じます。
より淘汰が明確になったというか、サラブレッドの世界もひょっとして格差社会なのかなぁと思います。
そんなことを思って見直すのも、またおつなもの。