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かつて、上海には三つの競馬場があった。(3)今も残る「新公園」のカーブ。
かつて上海にあったという競馬場について、情報を集めて整理中です。
五月雨式なのですが、二つ記事にしており、今日の記事で三つ目です。
一つ目の記事では、短い期間(1850年〜1862年)の間に二度も引越しをしていた事実にびっくりした、という内容でした。
二つ目の記事では、最初の競馬場(老公園=オールドパークと呼ばれた)が小さ過ぎるのが気になり、現地にも足を運んでみた、という内容でした。大体の場所はわかり、その狭さは実感できたのですが、老公園の面影は残念ながら、見つけることができませんでした。
面影がない理由として、まず、何しろ昔過ぎること、そして、使用期間が3〜4年と短かったこと、さらに、かなり狭かったことが挙げられます。
ほとんど、今「競馬場」と言ってイメージするような形を成していなかったのではと思います。
今日は、二つ目の競馬場、「新公園(=ニューパーク)」と呼ばれた競馬場について情報を整理してみます。
現在の地図からもコースの姿が見える。
以下は、現在の地図ですが、真ん中あたり、競馬のコースを彷彿とさせる楕円形が見えます。左上の方が欠けてしまっている感じですが。
(真ん中左の「上海人民公園」と「上海博物館」をぐるりと囲む楕円形も見えます。そちらが三つ目の競馬場です。)
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もう少し寄ってみますと、明らかに楕円形の、コースの形ですね。
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この二つ目の競馬場も使用期間はわずかに8年と、短いものでした。
現地に行ってみた。
明らかに競馬場のコースの形が残っているように見え、とりあえず現地を自転車で走ってみました。
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「北海路(BEI HAI ROAD)」を東に向かっています。
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さらに東へ進みました。
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緑の看板のお店の右側、奥に伸びるのが「海口路(HAI KOU ROAD)」です。
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この辺、カーブを感じながら悦に入っていたのですが、これまで調べた中で見た画像を見ると、上海競馬は右回りだったようです。
そこで、Uターンしました。
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再び、「北海路(BEI HAI ROAD)」。
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そしてこれも仮説なのですが、この先を西蔵中路に入っていくのですが、ここがコースでいう最後の直線だった気がします。
西蔵中路。
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かなり幅員のある道路です。
この道が、「新公園」の最後の直線で、さらに、三つ目の競馬場の向こう正面(最後の直線の向こう側の直線)だったのではないかな、と思います。
いずれにせよ、上海の繁華街であり、今ここを行き来している人たちの多くが、この道をかつて競走馬が走っていたことは知らないような気がします。
現地写真追加。
後日、また現地近くまで行ったので、楕円形の右上部分(第2コーナーから向こう正面、第3コーナーにかけての「湖北路」、「海口路」)の写真を追加します。
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北から南方向に向いての写真です。
カーブしているのがはっきりわかります。
競馬場の痕跡は他に何も見当たらないですが、このカーブはこれからも残っていくのではと思います。これ以上、大胆な再開発がなければ・・。
おまけで、一本西の通り。
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ここのカーブも気になり地図を確認。角度から見てコースとは関係ない、あとからできた道ですね😅
しかし、この通りはかなり味があります(浙江中路と言います)。
昔の通称、馬路(マールー)。
最近、こんな本を読んでます。
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この本にも、19世紀にイギリス人たちが競馬場を作ったという話が出てきます。
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面白いのですが、仕方ないですが、歴史が長い三つ目の競馬場ができてからの話が多く、内容は稿を改めて紹介できればと思います。
ただ、巻末に現在の道路名称と、かつて西洋人がつけた名称の対照表が掲載されていました。
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この対照表によると、現在の南京東路は「大馬路(ダーマールー)」と呼ばれ、南に向かい、平行に走る道を順に「二馬路(No.2 Horse Road)」、「三馬路(No.3 Horse Road」…と読んでいたそうです。
当時はやはりこの辺りの中心が競馬場で、このように呼ぶのが便利だったのでしょうね。
現在の地図上に、昔の呼称を付記してみました。
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赤枠で囲んだのが「新公園」。
枠内を東西に走る道が、「大馬路」、「二馬路」、「三馬路」・・などと呼ばれていたそうです。
ただ、新公園があるうちは、コース内を何本も横断する道はないと思うので、1862年に新公園がなくなり、東からの道が延伸し、西蔵中路(昔の西蔵路)まで達したものと思います。
余談ですが、この「馬路(マールー)」という名称の中で、「四馬路(スーマールー)=現在の福州路」は、現代の目抜き通りである南京東路(大馬路)よりも上海人に人気が高く、この「四馬路」の呼称も好まれていたそうです。
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そう言えば、昨日記事を書いた大型書店・上海書城もこの通りにありますし、上海の文化の中心地なのだと思います。
ちょっと長くなってしまいました。
歴史が長い三つ目の競馬場については、最も情報が多いので、また改めて書ければと思います。