見出し画像

かつて、上海には三つの競馬場があった。(2)最初の競馬場「老公園」はスモールサイズ。

先日、かつて上海にあったという上海競馬場について、ネットで調べたことに基づいて記事を書きました。

本日の記事は、自分で気になっていたことについて少しまた調べ、現地にも行ってみての情報アップデート記事となります。

ご興味ある方ぜひご覧いただければ、嬉しいです。



気になる、老公園の狭さ。


これまで調べる中でとても気になっていたことの一つが、当時、「老公園(オールドパーク)」と呼ばれたという、最初の競馬場の狭さでした。

老公園は、以下①の場所にありました。

コースから馬が飛び出して走り、そのため人々はその道を「馬路(マールー)」と呼ぶようになり、現在も道路のことを「馬路(マールー)」と言うようになった、というエピソード、前回も紹介しましたが、それにしても狭いなあ、と。

参考にしたサイトによると、東は「河南中路」、南は「南京東路」、西は「山西南路」に囲まれているそう。北側がどこまでかわからなかったのですが、現在の地図に照らし合わせると、「寧波路」になるようでした。

ただ、当時はこの通りに道があったわけではないと思います。畑ばかりだったそうですし。

そのあたりに、81アール(8100㎡)の土地を確保し、競馬のコースを作ったようです。

一応、上記、東西南北の道で囲みルートを引いてみると、1km未満、15分で歩けてしまいます。

(ルート出発地はApple Storeです。)

ただ、こうして現在の通りで囲んだ広さだと、一辺200mとしても、4万平米となります。

上にも書いたように、老公園は81アール(8100㎡)しかなかったそうなので、実際にはこのうちの半分もなかったのだと思います。

こんなもんだったのじゃないかな、、(↓赤丸部分)。

これは、いかにも狭い。

馬がコースをはみ出すのも納得です。

現地に行ってみた。


狭さを実感できるか、何か当時の面影は残ってないか、現地に足を運んでみました。

上記地図に引いた四角いルートの右下隅、河南中路・南京東路の交差点から、老公園があったはずの方向を撮りました。

Apple Storeが、どーんと建ってます。

その前が南京東路(歩行者天国)です。

仮に、この南京東路をスタンド前の直線と仮定して、まずこの歩行者天国を直進、時計回り(競馬用語で右回り)に進みますと…



右折して、山西南路に入ります。

ただのまっすぐな道路ですね。

進んで、また右折します。

寧波路。コースと見なすなら、向こう正面。

若干のカーブ?

ひょっとしてかつてのコースだったかも?

寧波路からさらに右折、河南中路は写真がないのですが、6車線の広い道路で、競馬場の面影は全くありませんでした。



貴重な一枚の写真


170年前に存在して、しかも3年か4年でなくなってしまった競馬場。

ほとんど資料もないのかと思ったのですが、一枚だけ、写真が見つかりました。

馬も写っているので、コースの狭さがよくわかります。

三角形で奥行きはありそうですが、手前の直線はかなり短く、50メートルもないように見えます。

まるで現代のパドック(出走前の下見所)並みです。

浅田次郎氏のエッセイで、競馬場に初めて来た女性ファンが、パドックで「え!?こんな狭いとこで走るの!?」と驚くという笑い話がありましたが、170年前の上海競馬では、本当に狭いコースで競馬が行われていたようです。

本日はここまで、主に老公園についてアップデートしてみました。


老公園の次にできた、「新公園(ニューパーク)」、そして三つ目の競馬場跡地についても、少し調べ足して、現地にも行ったりして、発見があったら改めて記事にしたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?