今日、11月1日はサイレンススズカの命日。(Number PLUS「名馬堂々。」を手に。)
何年の有馬記念、何年のダービー、というように覚えているレースは多いが、日にちまで覚えているレースは多くない。
今日、11月1日は名馬・サイレンススズカの命日。
先日発売されたばかりのNumber別冊の「Number PLUS 名馬堂々。」の表紙を飾ったのはサイレンススズカ(と武豊)だった。
この写真は、1998年の10月11日、毎日王冠の返し馬のときのもの。(撮影は石川啓次氏。)
このレースでは、これも名馬であるエルコンドルパサー、グラスワンダーを一蹴してみせた。
次走が悲劇の起きた秋の天皇賞で、11月1日のことだった。
こちらは、久保吉輝氏による撮影で、「遺影」というタイトルが付けられているらしい。天皇賞の馬場入場直後の写真である。
この写真について、浅田次郎氏がエッセイ「サイマー!」の中で次のように書いている。
ここに一葉の遺影がある。
第百十八回天皇賞の馬場入場直後における、サイレンススズカ号の写真である。
私はかつて、これほど悲しみに満ちた生き物の表情を見たためしがない。
物言わぬ名馬は、おそらくおのれの余命が数分しか残されていないことを、正確に予知している。
鞍上の騎手もまた、ふだんとは違う愛馬の気配を悟ってか、表情を翳らせている。ファンが良く知る通り、このジョッキーが表情を露わにすることは極めて稀である。
私は毎日王冠は観に行ったが、天皇賞は観に行かなかった。
気持ちとしては、どうせサイレンススズカが勝つのだから、という感じだった。(天皇賞のメンバーは毎日王冠よりもむしろ楽な相手だったように思う。)
それで、テレビ観戦することにした。
ただ、ああいうことがあったから言う訳ではないが、そんなに簡単に勝てるだろうか?という一抹の不安はあった。
もちろん、レース中の故障を予知などはしていなかったが、何かモヤモヤしたものが胸の中にあったことを覚えている。
そして悲劇は起こってしまった。
「名馬堂々。」に収められたコンテンツ「サイレンススズカ 理想のサラブレッドに見た夢。」の中に、武豊の語った言葉が書かれている。
夢見たいな数字だけど、58秒で逃げて58秒で上がってくる競馬もできそうな気がしてきました。
58秒で逃げる。つまり、後続をちぎって逃げる。
58秒で上がってくる。
前半58秒・後半58秒、合計1分56秒0で2000mを走り切る。
実は、このタイム自体は、2011年の天皇賞・秋でトーセンジョーダンが1分56秒1というレコードタイムを出しているので、今や際立って早いタイムとは言えないかもしれない。
しかし、2011年はシルポートという快速の逃げ馬がいて、前半1000mを56秒5と飛ばしまくった。そして激流が作られ、道中は後方に待機していたトーセンジョーダンが最後の直線でばてた先行勢を交わしてレコードタイムで勝った。前半の主役がいて、直線で最後の主役たち(上位勢)が登場し、フィナーレを飾った形。
サイレンススズカの58秒・58秒は、前半・後半ともレースを支配することを意味する、ひとり舞台のラップ構成。
前半も後半も主役。
こういう馬は、十年に一度という単位でも現れていない気がする。
だから今でもサイレンススズカのことを思い出す競馬ファンが多いのだと思う。
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