おそるおそる、競馬ファンに復帰。〜競馬歴_2006
勝手に自分の競馬歴を振り返るシリーズ、前回は2001-2005年の5年分をひと息に振り返りました。
2005年はディープインパクトが無敗三冠を達成、ミーハーな私は、ディープインパクトをきっかけにまた頻繁に競馬場通いを始めました。
2006年、印象に残るレース・ヴィクトリアマイル
パソコンの写真データを見返したのですが、あんまり写真は残ってませんでした。当時はまだスマホも普及しておらず、かといって撮影に凝るタイプの人間でもないので、カメラは気が向いたら持っていき写真を撮っていた、程度だったのだと思います。
ただ、この年のヴィクトリアマイル、ダンスインザムード(北村宏騎乗)が勝ったのですが、パドックで何枚か撮っていました。
1番人気(単勝2.4倍)は福永騎乗のラインクラフト。
このレースはパドック含め、よく覚えています。
というのも、ラインクラフトが落ち着いていて、「これは間違いない。」と本命にしちゃったんですね。結果は9着に沈みました。
逆に、パドックでイレこんでいるように見えたダンスインザムードが快勝。
「マイルは少し気合い乗り過ぎているぐらいの方がいい」と、自分なりの学びがあった、思い出のレースです。
3歳戦線は、メイショウサムソンとカワカミプリンセスが中心の一年
牡馬戦線は、結果的にはメイショウサムソンが皐月賞とダービーの二冠を取りましたが、人気はかなり割れていましたね。
春はアドマイヤムーン、フサイチジャンク、アドマイヤメイン、ドリームパスポート、サクラメガワンダーなどがいる中で、メイショウサムソンはベテラン石橋守騎手とのコンビで二冠馬となりました。
ダービーはおぼろげな記憶ながら、友達と後楽園のWINSで観戦していた記憶があります。そして、馬券もばっちり。アドマイヤメインが粘って、サムソンが内の好位から差す、と、イメージ通りでした。
こういうことはめったにないんですが、たま〜にこういうレースがあるので、競馬をやめられないんですね。
上のサムソンの写真は、2014年の11月に種牡馬となったメイショウサムソンが東京競馬場のパドックでお披露目された時のものです。
サムソンは凱旋門賞も現地で応援した、思い出の馬です。
牝馬戦線は、カワカミプリンセスが強かった。キングヘイローの仔ですね。
桜花賞は間に合わず不出走(桜花賞を勝ったのはキストゥヘヴン)。トライアルのスイートピーステークスを勝ち、その勢いでオークスも強い競馬で勝ちました。
確か、”スイートピーステークス勝ち馬はオークスでは来ない”というジンクスがあり、軽視してしまったのを覚えています。
オークスの2着がのちにアーモンドアイの母となるフサイチパンドラでしたね。
そういえば、この年は、牝馬戦線はアドマイヤキッス、牡馬戦線はアドマイヤムーンに乗る武豊が春のクラシックを総取りするのでは?という話題と、フサイチジャンクがオーナーの関口房朗さん、主戦の岩田康誠騎手と、名前の由来がテレビ番組「ジャンク・スポーツ」で、MCがダウンタウン浜ちゃんと、みんな出身が尼崎の「チーム・尼崎」で挑む、という話題もありました。
サムソンは秋、三冠に挑むも4着。
勝ったのは早逝してしまったエルコンドルパサーが遺したソングオブウインドでした。
古馬戦線はマイル〜中距離がダイワメジャー、長距離はディープインパクト
古馬戦線は、短距離は春(高松宮記念)がオレハマッテルゼ、秋(スプリンターズステークス)は香港馬テイクオーバーターゲット。
マイルは春(安田記念)が香港馬ブリッシュラック、秋(マイルチャンピオンシップ)がダイワメジャー。
ダイワメジャーは秋の天皇賞にも勝利。これは生観戦。ただ馬券は丸外れ。
ダイワメジャーはあんまり相性が良くなかった、、
前の記事にも書きましたが、ジャパンカップも生観戦。
ディープは馬券の相性がよかった。
どんな一年?
前回も書きましたが、かなり長いあいだ、”不真面目な競馬ファン”だったので、この年はおそるおそる、競馬復帰できるだろうか?みたいな感じで競馬をやっていた気がします。
しかし、キングヘイローやエルコンドルパサーといった、自分がはまっていった頃の馬の仔たちがレースに出るようになっていたりもして、そんなところからもまた親しみを持つことができ、無事競馬ファンに復帰できた気がします。
最後に・こんな写真も見つかりました。
翌週のダービーの有力馬に乗るジョッキーたち。
左から、福永、武豊、石橋守、四位、岩田康。
この時点でダービージョッキーは武豊だけでしたが、翌週石橋守がメイショウサムソンでダービージョッキーとなり、他の3人もみんな翌年以降にダービー勝ちましたね。