意味がない無意味 感想 千葉雅也

・事実は無限の意味を有する。なのでその多義性にとらわれると行動できなくなる。無限の雨を跳ね返すのは体であり、体が有限化するものとなる。
・NがSに移行する過程に見える。
・頭がいい人ぽど事実から様々な意味を見出すが、それがかえってなにを決断したらいいのか分からなくなる。
・NI TIループが無限の意味の追求なのだとしとら、それを止めるのがFe(=他者)であり、人々の動機となる。

感想:勉強の哲学が面白かったので著者の別本を読んでみることにしたが、この頃は哲学的な前提がなかったので読むのに苦労した。ただ今振り返っても再読する価値は。。わからない。
なぜなら相対主義では哲学はどこにもいけないからだ。相対主義の立場をとりながら、倫理について考えたところで結局は新たな独断論に陥るか、論理相対の対象にされないため確言を避け、あいまいなものになるのがおちだろう。レヴィナスもメイヤスーもガブリエルも独断論vs相対主義の構図を超えられない。
なんなら千葉雅也の無意味も謎言秘教化をした哲学にも思えてくる。力のある哲学原理なら、数行の要約で示せるものを(耐えられないので)示すことができず難解化させていく。デリダの焼き直し?どうだろうか。相対主義の路線ではとこにも行けない、

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