集中とはどういう状態か
はじめに
私の悪い癖でもあるけれど
スピードにだけ全フリする傾向がある。
正確性は二の次で。
それは自分の性格としてはわりかし気に入っているんだけど
スピードの違いが原因で周りと合わせるのが難しかったり
そのせいで私自身が必要のない場面で苛々したり
日常生活に若干の支障がある。
今回、単語の暗記をしながら思い浮かんだ「心理的なスピード」という言葉を発端にしてそこから派生、連想した
『集中』について『記憶』との関連性に
思うところがあったので
Noteの目次機能を使いたいばっかりに
適当に分けて書いてみる。
(ほんと、適当だよ)
有料級ですが無料です…。というのは嘘で別にこんなもん有料でもなんでもない。
昔amebloで書いていたブログの延長だよ。
単語、
気がつけば二週間で1400語。
それは単語集を覚えている最中の出来事でした
覚えても忘れる私ですもの
もちろん天才ではないので
忘れる、忘れる。
それをまた繰り返し覚える。
早く3800の単語を一旦全て確認したくて
また今日も無理に100語覚える。
多分、一巡すると
次からはだいぶ楽になるはず。
今日の100語を覚える時には、一つ目から始めて
いちいち最初に戻って記憶の定着を図る。
(1つ覚えて、2つ目覚えてそうしたら1つ目と二つ目を復習して、3つ目覚えて。
また1つ目に戻り、2つ、3つ覚えているのを確認して次の4つ目へ…と延々と100語繰り返す。)
この方法の良いところはやり切ればかなり強固な記憶定着となる。
欠点としてはその日の単語を新たに100覚えて前日までの1000の単語を復習すると夜中である。
力技だ。
社会人に(学生にだって)向いていない。
カフェインでドーピングしないと無理。
ドーピングすれば次の日の仕事に差し支える。
そもそも本当に覚えたんでしょうか?
しかも
覚えている風でいて
義務化、作業化されているだけの可能性もある。
なぜならふとした瞬間に心ここに在らずという
状態に気がつく。
単語集を目で追っているだけなのだ。
私たちが考える「記憶」とはなんでしょう
記憶には(正しい用語かどうかは別にして)
記銘
保持
想起
が必要である。
勉強などに関してだけいえば
理想的には一瞬で覚えて
永遠に忘れず
使いたい時にすぐに思い出せるのがよい。
だったら天才はどうやって記憶してるんですか?
直感像素質者;身近にいた天才くんです
実は大学生の頃、1人
これ(天才)に「近い」と思われる同級生がいた。
2年生から卒業までずっと首席であった彼は
教科書や文献を写真のように記憶するといっていた。
いわゆる直感像素質者だったのかもしれない。
「近い」あるいは「だったのかもしれない」というのは
別の同級生がその主席の彼に
どうやっているのかその方法を尋ねたときに、
「写真のようにイメージで記憶するが、とても集中してとても疲れる」と
言っていたからだ。とてもとても。
天才であれば軽く写真記憶してほしいという
我々の勝手な願望から(自分はできないくせに)
あくまでも可能性として記した。
父親から聞いた天才メガネ君です
また
父親の同級生にもいい意味でぶっ飛んでいる友人がいたらしい。
父親が大学生の頃、
友人同士で麻雀をすることが頻繁にあったそうだ。
(さすが我が父である。勉強の話は一度も聞いたことがない)
1人ゲームに参加しなかったメガネ君が
タバコの煙が充満する部屋の隅で読書をしていたそうである。
徹夜麻雀の後、そろそろお開きになるというところで
メガネ君がさっきまで読んでいた本を差し出し
「どのページでもいってくれ」と。
15ページの3行目。
適当に指定すると
メガネ君は
「白馬に乗ったその男は……」などと
正確にその記載を再現したそうである。
どのページからでも。一冊丸々。
ちなみに彼はその一年後、東大の医学部に入り直したそうである。
そしてさらに数年後、父親は実習先の精神科病棟で
措置入院となったメガネ君に再会したそうだ。
何が幸せなのかわからない。
覚えられることは幸せでしょうか
記憶と忘却
覚えれば覚えられるだけ幸せだろうか。
もちろん否である。
一方通行の経験はどこかで辛くなっていく。
人間には忘却も必要だ。
あの辛い経験が
いつまでも生々しくフラッシュバックすることが
PTSDである。
適切に覚え
適切に忘れること
時々、「よく覚えていたね」と褒め合い
時々、「忘れちゃったよ」と笑い合えること
それも人生に必要なことである。
試験前にそんなこと言ってられないのも
よくわかるけどね。
(そしてそれも人生に必要なことである。)
記憶と病気
自分の愛する人が少しずつ
自分のことを忘れていくのを見ていくのは切ない。
ずっと覚えておいて欲しいと思う。
自分もずっとあなたのことを覚えていたい。
それでも
記憶を追求するがあまり
メガネ君のように心が破綻してしまうのを
見るのだって辛い。
健康的に記憶し
健康的に忘却するにはどうすれば良いんだろうか。
もちろん、日常生活だけでなく
その少し先、英単語を覚えるとかなんとか
人生をより豊かにする上で必要なこととして。
シン・記憶力
重要なのは集中力です
私なりの「気づき」ではあって、
万人に受け入れられるわけではないだろうし、
私はそれでも文章にできればほとんど満足なので
記しておくが、
今日、新しい単語を記憶しながら
「集中力」の大切さが腑に落ちた。
集中ってどういう事でしょうか?
集中している時でも
実は他のことに気が散っていたことが先程わかってしまった(おっそ!)
例えば
Posterityという単語を覚え始めた。
何度もモゴモゴ口にしたり、紙に書いたり、日本語と英語をいったりきたり。
集中しているつもりだった。
しかし
その時、気がついた。
私は別のことを考えている。
つまり
次の単語Saturateがチラチラ気になっていた。
あるいは前の単語Phobiaを忘れていないか気が気ではなかった。
異性の事や仕事のことや今日の夕飯のことを考えているわけではない。
単語集の中のことを考えていただけである。
その一つの単語に全てをかけなさい
一瞬でもいい。
ただし、その一つの単語だけを思い浮かべなければいけない。
恋人の誕生日だとか
税金の支払いとか
そういうことを思い浮かべないだけでは実はそんなのは集中ではない。それだけではまだまだ足りない。
もっと強烈にフォーカスする。
それが集中。
私のやっていたのは集中ゴッコ。
そして付け加えというにはあまりにも大切なことが
もう一つあることも思い出した。
むかし自律訓練法の練習で気がついたことだった。
緊張と弛緩の落差が大事
自律訓練法を練習していた頃の話です
実はうまくいかなかった。自律訓練法。
自律訓練法は詳細は省くが精神科医シュルツの提唱した
自己催眠の一種である。
(参考)自律訓練法の背景公式
これがなかなかうまくいかなかった。
何年間も時々思い出しては訓練していたが
それこそ作業化以上の成果はあがらなかった。
そんなある日の夜勤中、暇にあかせて練習していると
いくつかのポイントに気がつき、
その途端ついに
ゾーンに入ることができたのだ。
自律訓練法にはポイントがあるとわかりました
それは、
リラックスと集中である。
リラックス自体がなかなかできないのだけれど、
一旦全身を硬直させるように両手両足を握り締め
体の力を抜く、
それを3回ほど繰り返すと
ずいぶん楽になり目的のリラックスを達成できることがわかっていた。
そこまでの時点で
自律訓練の入り口に立っていたのだけれど
最後の一点を突破できないでいた。
(そういう感覚は自分のなかで察しがつくものである)
残りのピース
それは「集中」だった。
集中しているようで心が遊んでいた。
まったく別のことを考えていたわけでもなかったはずだ。
ところが
「あれ、まだ手が暖かくならないな」とか
「これであっているのかな?」といった具合で
関連したものに心を寄せていたので自分でも集中していると思い込んでいたのだ。
そこで関連語句からも心を離してみた。
気にしているものがわかればその気にしているものから
離れるのは容易い。
気にしているものがわからないから
「気にするな」といわれても気にしてしまう。
あの時の
感動と不思議な感覚は
面白かった。
突然大きな波が心に打ち寄せてきて
数十秒
私は至福の時の中にいた。
自律訓練法をヒントに単語を記憶してみました。
本当に集中してみたらゾーンに入れないまでも記憶力が良くなりました
自律訓練法をヒントに単語に集中してみたら
楽に覚えられた。
体はリラックスして心は一つの単語だけに集中すると
30%ほど記憶力が上がる。(当社比)
この方法のもう一つの良いところは
単語には集中するけれど
心に集中するわけではないので
ストレスは少ないとこほだ。
おわりに; 皆さんはどうやって勉強していますか?
最後、デスマスになりますけれども、他の人がどうやって学んでいるか
この歳になっても気になるものです。
学生の頃は
なかなか聞けなかったことでも
あるいは言い出せなかったことでも
(こんな自律訓練法のことなんて怪し過ぎて言えないよね)
今となっては
それぞれの方法をシェアしてもいいんじゃないかなと感じています。
もしよろしければ
皆さんの記憶方法も教えてください。
色々書いたけど
何か決定的な方法があるわけでもないでしょう。
ここに登場した二人の天才のように
写真のように記憶できても疲れないわけではない。
人のことを羨ましく思っても仕方がないのは私の年齢になれば
達観できます。
振り返った時たくさん覚えていれば
それは次の自信につながるはずで
人生が豊かになるでしょう。
私はその昔、なんでも答えを求めていました。
時は過ぎ今では答えを探すこと自体が楽しくなりました。
関連語ではなく、そのことだけに集中したいと思っています。