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《大学入学共通テスト倫理》のためのトマス・ホッブズ

大学入学共通テストの倫理科目のために哲学者を一人ずつ簡単にまとめています。トマス・ホッブズ(1588~1679)。キーワード:「万人の万人に対する戦い」「自己保存の欲求」「譲渡(じょうと)」「社会契約説」「絶対王政」主著『リヴァイアサン』『哲学原論(物体論、人間論、市民論)』

ホッブズはこんな人

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ダンディーな微笑みの男性で、91歳まで長生きしたそうです。

📝ホッブズと言えば『リヴァイアサン』、リヴァイアサンって何?

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旧約聖書や伝承に登場する海の怪物(の王)のこと。これは挿絵画家として有名なギュスターヴ・ドレが1865年に描いた彫刻画「レヴィアタンの破壊」です。

📝ホッブズはなぜ怪物を社会を論じた本のタイトルにしたのか?

それは疑いなく一個の人工人間にほかならない。ただ、この人工人間は、自然人より大きくて強く、自然人を保護し防衛する(略)。(略)その「素材」と「製作者」。それはともに「人間」である(ホッブズ『リヴァイアサンⅠ』(永井道雄、上田邦義訳、中公クラシックス)から引用)

つまり、人間からなる人間より大きくて強い社会の主権を怪物になぞらえています。ところで、「人工人間」とか「素材」などの表現も、だいぶフランケンシュタインの怪物な感じです。

📝海の怪物を選んだことにも一つの含蓄が感じられます!

原因にたいする人間の無知につきまとう不断の恐怖は、対象として何物かを求めないわけにはいかない(ホッブズ『リヴァイアサンⅠ』(永井道雄、上田邦義訳、中公クラシックス)から引用)

海の怪物の方が見えない恐怖を駆り立てる。ホッブズにとって、恐怖感のある強大な存在である主権というものに、リヴァイアサンのイメージがうってつけだったのだと思います。ちなみに、ホッブズは陸の怪物「ビヒモス」を混迷した政治のたとえとして、同名の書物で使っています。

📝では人間が製作し素材なリヴァイアサンの成立過程を見ましょう!

自分たちすべてを畏怖させるような共通の権力がないあいだは、人間は戦争と呼ばれる状態、各人の各人にたいする戦争状態にある。(ホッブズ『リヴァイアサンⅠ』(永井道雄、上田邦義訳、中公クラシックス)から引用)

これがホッブズの「万人の万人に対する戦い」。前社会という暴力のカオスが、社会という一つの強い「権力」でまとめあげられるイメージです。この想定は非科学的(つまりどんな野生状態の生物もそんな風に戦ってない)とも言えるんですが、「社会」の成立に心理的動機を含めた仮説を提示した点ですぐれていると思います。

人々が外的の侵入から、あるいは相互の権利侵害から身を守り(略)、快適な生活を送ってゆくことを可能にするのは、この公共的な権力である。この権力を確立する唯一の道は、(略)かれらの持つあらゆる力と強さとを譲り渡してしまうことである。(ホッブズ『リヴァイアサンⅠ』(永井道雄、上田邦義訳、中公クラシックス)から引用)

これがホッブズの「譲渡」。「万人の万人に対する戦い」状態から脱するために、人びとは「自己保存の欲求」にかられて、一つの主権に同意し、それに権力を与える過程があるとされています。

「多数」の人々の合意および「各人相互の契約」によって、すべての人々の人格を「表わす」〔「代表者」としての〕「権利」が(略)行為と判断をあたかも自分自身のそれであるかのごとくに「承認」し、そうすることによってたがいに平和に暮らし、他の人々から保護してもらう(ホッブズ『リヴァイアサンⅠ』(永井道雄、上田邦義訳、中公クラシックス)から引用)

これがホッブズの「社会契約説」。「万人の万人に対する戦い」の潜在的な暴力がまとまる主権のパワーが強調されています。

This is the generation of that great LEVIATHAN, or rather, to speak more reverently, of that mortal god to which we owe, under the immortal God, our peace and defence.(フリー引用文章集「Wikisouece」、Leviathan/The Second Partから引用)

「これがあの偉大な『リヴァイアサン』の発生である、いやむしろ、より厳粛に言うと、不死の神の下(した)にいて、私たちが平和と防衛のおかげをこうむる、不死でない神の発生である。」が拙訳。この原文の‟mortal(死ぬ運命にある)”と‟immortal(不死の、永遠の)”との対比を見ると、ホッブズが有限な人間からなぜその人間を超越する社会や主権が成立したかを考え抜いたことが分かります。

📝成立したリヴァイアサン(主権)は、強くあらねばならなかった!

主権者の力は人間がつくりうると考えられる最大のものである(略)これほど無制限の権力からは、望ましくない結果が生まれることを想像する人々もあろうが、それがないことから生ずる結果に、つまり各人が隣人とつねに戦争状態にあることに比べれば、はるかにましである。(ホッブズ『リヴァイアサンⅠ』(永井道雄、上田邦義訳、中公クラシックス)から引用)

この主権者の規定は、ホッブズの思想が「絶対王政」の支持をすすめる影響も与えたそうです。たしかに、現行の権力が強くあるべきという発想に行きやすい議論を展開しています。ただホッブズ自身はどの政治体制を支持したかは曖昧で、主権者と主権を分離していると見なせる記述もあり、ホッブズ=「絶対王政支持者」とは言えません。

📝ホッブズは他の国民主権な社会契約論者からツッコまれてます!

そのような体制は(引用者注記、多数決を原理としない体制は)、あの強大なリヴァイアサンをさえも、もっとも弱い被造物よりも短命にし、生まれた日よりも長くは生き延びられなくするであろう(ジョン・ロック『完訳 統治二論』(加藤節訳、岩波文庫)から引用)

リヴァイアサンがカゲロウ扱いなロックの辛口コメント。国民主権の基本である「多数決」の原則を政治に組み込むことなしに、リヴァイアサン的国家は存続するわけがないと同じ社会契約論者のジョン・ロックが批判しています。

ホッブズに組して、人間は善についていかなる観念も持っていないから本来邪悪であるとか、美徳を知らないから悪辣であるとか、同胞に対して義務だと思わない奉仕はいつも拒否するとか(略)唯一の所有者であると思い込んでいるといった結論は出さないようにしよう。(ルソー『社会契約論 不平等起源論』(原好男訳、白水社)から引用)

これはルソーのホッブズ批判。自然人にすでに他者を思いやる心や自然への畏敬をみるルソーにとっては、ホッブズの論理は大分ゆがんだものに感じているようです。

📝それでも、ホッブズが社会契約を論じた革命的意義は失われません!

ホッブズは(略)自然状態で有していた自然権を放棄して社会契約を締結し、その契約に基づき発生した主権によって国家が成立したとみる。(略)理論的には、王政、貴族政、民主政とも結びつき得る点で古典的社会契約論と異なる。(略)中世封建的な服従契約を否定し、近代的な個人の概念を社会契約の基礎に置いた点で革命的な発想の転換であったといえる。(フリー百科事典「ウィキペディア」、社会契約のページから引用)

他の社会契約論者から叩かれるのも、パイオニアである証拠です。近代的人権は、このホッブズの力感がある、少し不気味な発想から開始しました!

最後は小ネタを!

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トマス・ホッブズと言えば「万人の万人に対する戦い」。この前社会の仮定は鮮烈なイメージがあり、例えば現代の小説にこう登場する。これは一級のエンターテイメント作家の描く、超能力がある世界の未来です。「かつて経験したことのない」という形容をみると、ホッブズの前社会の想定が「仮定」であることを貴志祐介氏は知った記述と思えます。

円に等しい面積の正方形をコンパスと定規で作図できるかという円積問題。19世紀に不可能が実証されたこの問題を、17世紀にホッブズは自分が可能の証明をなしたと最後まで信じた。そこで英国で「丸を四角にする」という表現は不可能な企てのたとえとなった。この英語の表現は‟square the circle(円を四角にする)”。このスクエアは動詞です。


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