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『ファーストラヴ』(島本理生、文春文庫)の感想

 島本理生のミステリを読んだ。いい小説だと思う。島本文学特有の生きる痛々しさの表出が「ナゾ」として明るみになる構成にスリルがあり、虐待という重いテーマを描きながら前を向く方途を探りつづける凛々しさがある。

 この作品の主人公は臨床心理士の「真壁由紀」。彼女は尊属殺人の被告「聖山環菜」の本を書く依頼を引きうける。だが被告の弁護人は「庵野迦葉」だった。彼は夫「真壁我聞」の弟で、由紀と因縁のある男なのだ。

 (略)窓の外を見つめながら考える。
 環菜の過去をたどっていると、私たちの内包した時間もまた巻き戻される。
 それでも決定的な言葉は死ぬまで口にできないのだ。私も迦葉も。
(p83)

 事件の解明はきっと恐ろしい真実を浮かびあがらせる。それは被告の「動機」の真実にとどまらず、由紀と迦葉を苦しめる現在のキズへと波及し、それは我聞との結婚さえ終わらせてしまう「決定的な」なにかかもしれない。

 真実はじょじょに明かされる。そのさい読書の求心力となるのはタイトルだ。「初恋」という無垢で祝福されるイメージのものがタブーの中心にあるのか。このこわさが求心力だ。そして、タイトルの意味はおそろしく深い

「(略)たしかに私と迦葉君には誰にも言っていない事情があります。でも、それはむしろ恋愛じゃなかったために起きたことです。今も後悔しています。あんなふうにお互いに深入りしすぎたことを」
(p189)

 由紀と迦葉の「事情」は初恋か。それは環菜の真相にも問い直される。

「(略)変えたんだと思います。物語を。あれはちゃんと恋愛で、自分も相手のことが好きで同意の上で、愛情もあったと。ない場所にないものを求めたんだと思います」
(p276)

 私たちもそうかもしれない。「初恋」の物語をひもとけば、生きるためしがみつく必死さ、ぶざまさ、人のいとしさがある。しかし、これが本当に「ファーストラヴ」なのか。こんな問いをさしむける本作の味わいは深い。

 ついでに、細部の味わいについて。

 太い黒縁眼鏡を掛けた長身の男性が驚いたように、私を見ていた。息を吸うと同時にタイトな黒いワンピースに押さえ込まれた自分の胸が窮屈に上下した。
(p164)

 夫我聞とはじめて会う場面。いい身体感覚の表現だが「黒いワンピース」を着慣れていないかのような表現に要注目。「黒」は迦葉との会話に出ている。ここで由紀が黒を着る理由を考えることを示唆されている気がします。

(ちなみに私は「ファーストラヴ」は美しいラストシーンをさすと思う。)


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