小説「耳男(みみおとこ)」
耳男あるいは聞き男の話を知っているだろうか?
きっと有名な話なのだが、あなたは違う呼び名で知っていてもおかしくはない。それはこんな話である。
死者が出る家に耳男があらわれる。男は家の戸口に耳をあててじいっとなかをうかがう。するとまもなく家人の誰かが亡くなってしまう。
ご存知の話だったろうか。昔どこかで聞いたことがあるという人もいるかもしれない。
これは私にとってはなつかしい話だ。成人するまでものすごいど田舎で育ったのだが、近所の大人たちの会話で耳男はたびたび登場していた。
どこどこの家に耳男が現れた。だれだれが耳男を見たらしい。その話は決まって、「そういうめぐり(あわせ)だった」というため息をつくような確認で終わる。
むごい死の話を耳男は静かなあきらめの方に差し向ける。そういう意味で彼はけっして怖い存在ではなかった。ただ、耳男に話しかけたり、顔をまともに見たものは呪われた。
私が実際に呪われた人を知っていたわけではない。でも考えてみてほしい。耳男は間違って声をかけやすい存在なのだ。ドアにうずくまって、じいっと何かをしている耳男。
そんな彼はピッキング犯ととてもよく似ている。そのため、あぶなくどなりつけそうになったとか、実際に声をかけた駐在さんがおかしくなったとか、そんな話をよく聞かされた。
これから私が語る体験談は、耳男を見ておかしくなることはありえるかもしれないこと。それは耳男の呪いではないかもしれないという話だ。ずいぶん前置きが続いてしまったのでごく手短に書く。
あれは高校からの帰宅中、電車とバスを乗り継いで、30分の距離を自転車で爆走している最中だった。
ご近所さんの常夜灯の真下に何かがうずくまっていた。黒い服の男のように見えた。ただ服は闇に溶けてしまっていてそれ以上の特徴はわからない。
私は状況をもっとつかもうとするため無意識に自転車のスピードをゆるめていた。だが、あることに気づいて猛然と自転車をこいでその家の前をすぎた。
男の瞳がそれだ。
彼の視線はドアの向こうに注がれていた。そうしてひとときも休まずに動いている。いまにも起きることに狂おしく震えていた。死の恐怖。それを顔に張りつかせていた。というよりは、耳男自体が死の恐怖だった。
私が書いておきたいのはこういうことだ。ひょっとしたら耳男はけっして呪いなどかけていないかもしれない。ただ本当の死の恐怖とまともに向き合った人はまともではいられなくなる。
ただそれだけの話かもしれない。私はそれ以後ドアの付近から全力で目をそらす習慣を確立した。自分の死への恐怖をドアの外においやることと比べてそう難しいことではない。
ちなみに、どういうわけか、耳女というものは存在しない。