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《大学入学共通テスト倫理》のためのユルゲン・ハーバーマス

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・哲学者を一人ずつ簡単にまとめています。ユルゲン・ハーバーマス(1929~)。キーワード:「コミュニケーション的合理性」「生活世界」「討議」主著『公共性の構造転換』『理論と実践』『コミュニケーション的行為の理論』 『討議理論』

ハーバーマスの画像は

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パブリック・ドメインがなく掲載しません。銀髪と銀縁のメガネが素敵な男性です。

📝ハーバーマスはドイツの「フランクフルト学派」第2世代です!

フランクフルト学派(フランクフルトがくは、Frankfurter Schule)は、マルクス主義、フロイトの精神分析理論などを基に、批判理論による社会理論、哲学を研究したグループの名称。(フリー百科事典「ウィキペディア」、フランクフルト学派のページから引用)

哲学や社会学と同時に文学研究や言語学など幅広い研究を扱うところにフランクフルト学派の特徴があります。第1世代のテオドール・アドルノとマックス・ホルクハイマーの特徴がまさにそれ。たとえば、社会を導く正義の「啓蒙」自体に暴力に変じる要素がはらまれている逆説を論じた共著『啓蒙の弁証法』には、ミッキー・マウスへのコメントがあったりします。

📝そして、ハーバーマスは理性による対話を重んじた社会哲学者です!

喫茶店やサロンやクラブで、この公衆の理念が本当に実現されたというわけではないが、ともかくもこれらによってそれが理念として制度化され、したがって客観的建前として掲げられ、そのかぎりで、実現はされなくても尊重されるようになったのである。(ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』(細谷貞雄・山田正行訳、未來社)p56から引用)

これがハーバーマスの『公共性の構造転換』。この本は18世紀~19世紀のコーヒーハウスやサロンについての研究でもあります。そこで多様な異見をもちつつ「対話」することで空間を生み出した「公衆」の存在がクローズ・アップされています。

原則的に言ってだれでも、公的討論に参加し、書物を買い、演奏会や劇場の座席を入手し、美術展を見にいく人ならば、自由な評価を求められ、自由に批評する資格がある。しかし「偏見」にとらわれないつもりならば、これらの批評の論争において、彼は説得的な論拠に耳をふさいではならない。(略)真の評価は討論の中ではじめて達成されるのであるから、真理は一種の過程――すなわち啓蒙の過程という姿で現れる。(ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』(細谷貞雄・山田正行訳、未來社)p82から引用)

これも『公共性の構造転換』から。私たちが対話によって「真」なるものを得ることをまっすぐに肯定した一節です。この最初の著作でハーバーマスは「啓蒙」を批判したアドルノとホルクハイマーと真っ向対立する見解を示します。そうして、彼らとも真剣な対話を開始しています。

これはロンドンのロイズコーヒーハウス

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ちょっとコーヒー・ブレーク。多様な人間たちが対話によって世界をひろげていくこと。ハーバーマスの論考はいつでもそれを全力で肯定しているでしょう!

📝ハーバーマスは対話の「コミュニケーション的合理性」を論じます!

コミュニケイション的合理性の概念には、次のような意味がある。それは究極的に強制をともなわず議論によって一致でき、合意を作り出せる重要な経験に基づくのであって、こうした議論へのさまざまな参加者は最初はただ主観的にすぎない考え方を克服でき、共通の理性に動機づけられた確信をもつ(ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論 (上)』(川上倫逸、M・フーブリヒト、平井俊彦訳、未來社)p33から引用、ただし、「コミュニケイション」の傍点を略した)

これがハーバーマスの「コミュニケーション的合理性」。1人が理性的になるのでなく討議を共有することで、正しいものへの合意や「共通の理性」が得られるというもの。そんな「理想的コミュニケーションの状況」の中にある「合意」の力を「コミュニケーション的合理性」と呼んでいます。これは『コミュニケーション的行為の理論』から。

📝さらに、対話の原理を言語の原理にまで深めて考察しています!

言語はただ、発話者が了解を目指して命題を用いて世界と連関をもつという語用論的視点のもとでのみ、その重要さをもつ(ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論 (上)』(川上倫逸、M・フーブリヒト、平井俊彦訳、未來社)p149から引用)

これがハーバーマス式の「語用論(言語の実用的なレベルでの研究)」。言語をもつ時点で私たちは1人で世界を了解するのでなく、他者と了解の共有を目指しているという内容です。これも『コミュニケーション的行為の理論』から。

📝そしてハーバーマスは自他共通の基盤を「生活世界」と呼びます!

コミュニケイション参加者が何かについて互いに了解し合う際の源泉である生活世界(略)すなわち、社会という概念は、コミュニケイション的行為の概念と相補的な関係にある生活世界という概念に結びつけられねばならないのである。(ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論 (中)』(藤沢賢一郎、岩倉正博、徳永恂、平野嘉彦、山口節郎訳、未來社)p84から引用)

これがハーバーマスの「生活世界」。人間の社会の根底であるもので、コミュニケーションの基盤となり、また具体的なコミュニケーションにより変化していく可能性のあるものです。これも『コミュニケーション的行為の理論』から。

📝ハーバーマスは「討議」で実現できる人間と世界の理想を求めます!

「汝の欲せざることを、他にほどこすことなかれ」という原則は、いまだテーマ化されていない自分の自己了解と世界了解に自己中心的に結びついたままの状態であるがゆえに、不十分なものであらざるをえない。可能な限りすべての当事者が参加しうるはずの間主観的に展開される議論にしてはじめて、ラディカルな普遍化を可能にもし、必要ともする。つまり、そのような論議における態度の取り方が普遍化可能であるかどうかが試されるということでもある。(ユルゲン・ハーバーマス『討議倫理』(清水多吉/朝倉輝一訳、法政大学出版局)p185から引用)

これがハーバーマスの「討議」。どんなに尊い道徳原則もこの世界ではまだ完全には実現しない。それは実現不可能だからでなく「すべての当事者」の討議を通じてより根源的に普遍化できるはずである。その試練に今私たちは生きているという内容です。こんな風に、人間と世界の進歩を目指した思考に全力を注いでいます。カギカッコは孔子の言葉。『討議倫理』から。

あとは小ネタを!

哲学者で思想家のハーバーマスは2004年に京都賞を受賞した。その記念講演で彼は「知識人はシニカルであることが許されない」と述べた。公益財団法人稲盛財団のホームページから引用しました。この講演でハーバーマスが「即席の話」が苦手だと謙遜していますが、「理性的対話」の哲学者がトークが苦手ってなんかチャーミングに感じました。

哲学者ハーバーマスは論敵であり戦友であるジャック・デリダについて、著作から受ける印象とは異なり「開けっぴろげな態度で人に接する、親切な、そして友人関係に積極的な人間」だったと評している。友情を感じるコメントである。『ああ、ヨーロッパ』(三島憲一、鈴木直、大貫敦子訳、岩波書店)p72~73から引用。ハーバーマスは「EU(欧州連合)」の理想を説きその実現に尽力する知識人です。


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