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ことばは政治的 第1回        女性を言い表すことば


 2022年にエリザベット・ボルヌがフランスの首相に就任しました。1991年に就任したエディット・クレッソンに次いでフランス史上二人目の女性首相でした。ここでフランス語学習者の方に質問です。「首相」はフランス語でなんというでしょうか。

写真 1 エリザベット・ボルヌ(Wikimedia Commonsより)

 ボルヌが首相に就任したとき、Première ministreと公式発表や報道で表記されました。Premièreという形容詞の形のとおり、ministreは女性名詞になっています。しかし、クレッソンが首相に任命されたときは、Premier ministreと書かれました。女性であるにもかかわらず、男性名詞が使用されたのです。

自己紹介

 慶應義塾大学の大嶋えり子と申します。専門はフランス政治で、大学では主にフランス語を教えています。移民や植民地の記憶を研究対象としていますが、フランスにおけるジェンダーをめぐる課題にも近年は関心を寄せています。
 このコラムでは、社会のジェンダー観の変容に伴いフランス語がいかに変わってきたのかを見ていきます。

フランスはジェンダーに関して進んでいる国?

 ジェンダーに関して進んだ国としてフランスが認識されていると感じることがたまにあります。たとえば、出産や育児へのサポートが手厚く、女性の社会進出を促進しているイメージが強いかもしれません。そうした側面はある程度事実ではありますが、歴史的に見て他の民主主義国家よりも特に進んでいるとはいえません。
 わかりやすい例は女性参政権でしょう。日本で認められたのは1945年です。フランスはというと、1944年でした。いずれの国でも、独裁政権が崩壊するとともに女性が参政権を得たことになります。1789年に制定された「人権宣言」が、「人間は自由で権利において平等」と掲げているにもかかわらず、女性が権利を持つ人間として認められるまで実に長い時間を要したのです。
 また、女性議員の割合も示唆的です。下院で比較すれば、現行憲法が制定された1958年から2000年頃までフランスでは1%から10%程度しか女性議員はいませんでした。これは1946年以降の日本の衆議院と変わらない水準です。2000年頃に男女同数を意味するparitéを目指す法律が複数制定され、フランスの下院では30%台にまで女性議員の割合が増えました。
 こうした状況を振り返るだけでも、女性たちの権利のための闘いがフランスでも決してたやすいものではなかったことがうかがえます。

のろくも変化していくことば

 女性たちの権利が徐々に認められてきたとはいえ、社会の変化にことばは必ずしも追いついていませんでした。1947年にジェルメーヌ・ポワンソ=シャピュイは女性で初めて中央官庁を持つ行政大臣に任命されました。しかし、大臣を意味するministreは元来男性名詞です。女性の大臣たちは何十年もの間、男性名詞を当てはめられる状況にありました。実際、冒頭で言及したクレッソンも1991年に首相になりましたが、Premier ministreと男性名詞を当てはめられ続けました。 
 大臣だけでなく、多くの職業に女性名詞がありませんでした。そのため1980年代から、職業を指す名詞を女性形でも使えるようにするべきかが議論されるようになりました。そこから徐々にフランス語は変化していきました。フランス語を勉強なさっている方にはお手持ちの教科書や参考書を見てほしいのですが、教員を意味するprofesseurは男性名詞としてのみ使えると書かれていますか。あるいは男女同型とありますか。それともprofesseureという女性形も併記されていますでしょうか。教科書によって方針が異なるかと思います。もともとprofesseurは一般的に男性名詞のみ使用され、女性教員にも男性名詞が使用されていました。ところが、近年では女性形のprofesseureが女性に使われる傾向にあります(professeuseやprofessoresseという女性形も19世紀の文献で見られますが、現在はこれらの使用は極めて稀です)。この現象を「女性名詞化」(féminisation)と呼びます。
 ことばは人々の日常的な実践の中で変容していくものです。社会が変わればことばも変わって、ことばが変われば社会の見え方も変わっていきます。

大嶋えり子(おおしま えりこ)
慶應義塾大学経済学部准教授。
東京都出身。博士(政治学)。早稲田大学政治経済学術院助手、金城学院大学国際情報学部講師を経て現職。慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、証券会社に勤務。退職後、早稲田大学大学院政治学研究科に進学し、修士課程でフランスの極右政党の研究に取り組む。博士後期課程ではフランスの移民政策と植民地の記憶をテーマにした博士論文を執筆。主著に『ピエ・ノワール列伝』(パブリブ、2018年)、『旧植民地を記憶する』(吉田書店、2022年)、大嶋えり子・小泉勇人・茂木謙之介編著『遠隔でつくる人文社会学知』(雷音学術出版、2020年)がある。


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