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再びピアノの生徒になって3か月半
昨年ピアノを再開しようと決めて体験レッスンに申し込み、数えてみたら、体験含めて13回レッスンを受けたことになります。
まだ少ないけど、今時点での積みあげてきたものを振り返ってみたくなりました。
これまでにやってきたもの
バーナムピアノテクニック1
(奏法、脱力トレーニング)
39課題 済
アレンジハノン
(指の訓練&アンサンブルのトレーニング)
ハノンオリジナル 9課題目取組中
ハノンアレンジ 9課題目取組中
ハノンアレンジ伴奏 7課題目取組中
ブルグミュラー25の練習曲
(表現のトレーニング)
17曲目取組中
パーソナル
(自分がやりたい曲)
金婚式
雨だれ←レッスン中
悲愴←譜読み中
今の思い
こどもの時は1回のレッスンで1曲~2曲だったから、それを考えるとまぁまぁ頑張っているペース、だと思いたい。
今の最優先の目標はブルグミュラーを終えること。
自分のやりたい曲の比重をあげるのは、もう少し基礎力の底上げをしてからでいいかなと思っています。そのほうが結果早道になるのではと。
25の練習曲は気が付けば半分過ぎていて、残りあと8曲。夏前くらいには終われたらいいな。今の本の25曲が終わったら、つぎは18の練習曲をやります、と言われています。まだまだ先は長い。その先の12の練習曲については…未確認。さすがにそこまで行けばブルグミュラーじゃなくても別の題材もたくさんあるだろうし。
いま習っている先生は、導入が済んでいる大人の生徒さんにはブルグミュラーをやってもらう方針とのこと。
最初に言っておられたのは、ブルグミュラーは表現の勉強にとてもいいということ。これは本当にそうだなと思いました。レベルに合わせて初級~中級の幅広い層に使えるのだなというのがやってみてわかりました。先生にとっても、経験者の大人が入会してきたときに、基礎力の具合や、得意不得意を見るのにちょうどいい粒度なのかもしれない。
実際ブルグミュラー、初中級程度とは聞くものの、弾きづらい曲もあるし、きれいに仕上げようと思うと考えることがたくさんあって、え、これほんとにこどもも弾くの…って自信無くしそうになることもありました。
ただ、やっていると、ここはあの作曲家のあの曲の雰囲気に似ているな、と感じるところがあり、いろんな作風のつまみ食いをしているような部分もあるなと感じています。そういう意味でも古典派ロマン派の勉強にはよい教材なのかもしれません。ここはそれなりにクラシックを聴いて大人になった今だからこそ理解できるメリットかも。
私の音は先生にどのように聞こえているんだろうか。
表現、、最初に比べたらタッチの変化や強弱は少しつけられるようになったかな?アーティキュレーションの細かい部分は…たまに見落としがあって指摘をもらいます。テンポは、、正直速く弾くのは苦手です。性格的にもテクニック的にも。指定テンポで弾くことはほぼないし、先生も速さについてはそこまで厳密には求められません。そこは大人の趣味ピアノだから許容してもらっているだけなのかも?
こどもの時にはバイエルの後にABCとラジリテーで基礎をやって、ソナチネには入っていたので、いちおう中級課程に片足突っ込んだところくらいまでは進んでいました。チェルニーやブルグミュラーといった、当時の定番コースは通っていなくて、周りのピアノをやっている同級生と比べて自分の進度がどうなのかもよくわかりませんでした。そしてあまり深いことまでは考えて弾けていなかったような気がするので、ちゃんとやれているかというとあまり自信はなかったのです。
そういう感じだったので、大人になって再開し新しく先生に習うのがとても怖いと感じていました。もろもろ状況が整ってようやく習えるようになったのが今、ということもありますが、ずいぶん長い間しょうもない心の壁に阻まれて前に進めずにいたことは、今思えば本当にもったいなかった。
もともとのベースがたいして高くなかったと思っているので、ようやく再開した30年近くのブランク明け、すごく後退したとかいう自覚がないのはある意味救いかな。昔はもっとできたのに、という落ち込みはほとんどない。どちらかというと、十何年もやっていた割にたいしてうまくならなかったんだなーとか、ちゃんと前に進めているんだろうか?と不安に思うことの方が多いです。
こどもの時のレッスンにもう少しまじめに取り組んでいたら、今見てもらっている雨だれや譜読み中の悲愴2楽章も、こどものうちに弾けたかもしれなかったので、もったいなかったという気さえしています。
まぁ、過去の時間の使い方をいまさら悔やんでも仕方がない。大人になって、名曲の味わい深さをしみじみ感じながら勉強するために、こどもの頃の自分が楽しみを取っておいてくれたと考えることにしようかな。