隠れみのと本音
この間、「今や環境問題も資本主義社会に持っていかれた感じだし。」という声を聞いた。お金儲けの道具に環境問題を使ってると言いたいのだろう。環境のためになっていようがなっていまいが、イメージアップと売上アップになればいいだけだという事だ。気持ちは分からないでもないなと思ったけど、少なくとも何もしないよりはきっとマシなんだよなとも思った。
特に大きな企業であればあるほど、直面している問題にきっちりと取り組めば社会全体の好転へと繋がる可能性もゼロではない。きっちりと取り組めば。裏を読みだしたらきりが無い。ただ、各企業のホームページなんかを良く読み込めば、言っていることの矛盾なんかは結構透けて見えてくると思う。そういう企業は「ああ、イメージのためだけに今これをスローガンに掲げているだけだろうから分からない所では無責任なんだろうな」って。
人間が常に成長を求めて動いて来た結果、今の地球の状態になってしまった。「そんなつもりじゃない」という言い訳は誰なら言っていいのだろう。みんなそんなつもりじゃなかったはず。大多数の人が行き過ぎた資本主義の片棒を担いでいるとは思っていない。もしくは気にしていない。だからそういう人たちに触れやすい資本主義社会が生み出した人気商品達がたとえ隠れみのだとしても地球環境のためになる何かを考慮して生まれ変わろうとするのなら、先ずは変えていってもらうしかない。経済や政治、社会生活の問題と地球環境の問題を一斉に解決するというのは難しいが、何か一つが良くなれば他も良くなってくると言う事はあると思う。とりあえずで言うなら環境問題なんじゃないか。
私だってコーヒー豆を売っている。コーヒー産業なんて行き過ぎた資本主義社会の権化みたいなものだ。けれどそんな事実を認識する前からコーヒーが好きだったし今もコーヒー中毒だ。コーヒーの産地にはどういった経緯があるのか自分なりに調べた時には植民地時代の奴隷問題や貧困国の現状、森林破壊など、納得いかないことだらけで本当にコーヒー豆を売る事が正しいのか分からなくなった。でも売っている。なら何が出来る? 微力の一万分の一くらいの力でもいいからそういった納得いかない社会と真っ向勝負くらいの理念の中でやる。矛盾があって完全に潔白とはいかない中で自分自身へ問いかけている。「それでどうする?」と。
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