くもの糸
米粒の大きさにも満たない小さな蜘蛛が、たった一晩の間に蜘蛛の巣を作っていた。正確には数時間ほどしかかけていないだろう。自分の体から出した糸で自分の体の何百倍もの大きさの巣を作ってしまう。人間なんてああしたいこうしたい考えていても、そんなはっとするような変化をなかなか起こせるものじゃないし、ありとあらゆる材料を使って、考えて考えて、一人より二人、二人より三人の力を信じて時間をかけて何かを作ったりする。どちらが優れているとかいう事ではなく、そういう性質の全く違う生き物の存在を再確認する時、「ならお前はどう生きる」と問われているような気がする。いろんなものを削ぎ落として、自分の手で、体で生み出せる範囲の実直な暮らしをする用意はできているか。
蜘蛛の思考がどれ程のものか分からないが自分の作る巣の形状も客観的に見ることも無く、ただ生きるために必要な動きを本能に任せたままの結果があの蜘蛛の巣なのだから「もしも私がその蜘蛛だとして」と考えるだけで説明のつかない現実と、理解の及ばない想像の間で自然の脅威や創造といった言葉の意味を僅かであれ得たような感覚を抱く。
調べれば、蜘蛛は毎日なほど巣を作りかえるらしい。だからその身一つで作り上げた巣を例えば一瞬で潰されたとしても、恐らく落胆などはしないのだろう。そこに無いなら、また最適な場所を見つけて作るまでだ。獲物を捕まえるための糸は一度張り付いたら離れないが巣には一切の執着も無い。執着が無いって大事だと思う。
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