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慮る オモンパカル

 この目の前の状況が良くなればいいと、ただそう考えて動いているだけなのに思うように物事が進んで行かないという事はよくあると思う。物理的な状況や環境のせいで上手く行かないならまだしも、原因が「人」である時はぐっと滅入ってしまう。何故ならきっと誰もが人の事は悪く思いたくないわけで、自分の意見を押し付けたいわけでもなくて、ただ自分は純粋に良いと考えている事なのに反対だと考える人がいる事に落胆するのだ。

 そりゃそういう事もある。物事の好き嫌いなんて人によって様々なのだから意見、主義主張の違いはあって当然なのも分かる。そういう時には相手を慮るしかない。「何故そういった考えになるのだろう」「この人はきっとこうなんじゃないか、ああなんじゃないか」「こんな理由があるからそうなるんだ」そうやって人の立場を考えて想像すると、自分の固まった思考が知らず知らずに緩んで行く。この知らないうちというのが大事で、譲歩しているのでなく、負けているのでもなく、無理やりでも無く、自分とは違う見解を「そういう事もあるよな」とストレス無く受け入れる事ができたりする。

 そうやって人は分かり合えるのではないか。相手の事を慮らずに分かり合うことなど至難の業なのだと思う。長年付き合いのある家族や仲間でもない限り表に立つ言葉以外を汲み取る事は難しい。それでも時には少ないやり取りの中で何かを決めたり行動を共にしなければならない。社会の中で生きるという事がそういう事だから。自分を失くすということではなく、より自分を知るために「慮る」ことを努めて行いたい。人の裏の努力を想像できる自分でありたい。


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