『イジメもあった』 ~難聴者としての認識~
(前頁 ~『TVを持たない生活』) ※難聴者さんインタビュー③
GenGenさんは難聴者として、健聴者が体験しないような道を通ってきた。
GenGenさんが、自分が普通とは違うと認識したのは小学生の頃。
周囲は難聴である事を理解してくれていると思っていたが、
宿題の答え合わせが出来ず、友達の答えを見せてもらっていたところ、先生が誤解をして廊下に立たされた事もあった。
「何でこんな勘違いをされるんだろう」と思ったという。
中学生になると「健聴者と難聴者のスレ違い」は更にエスカレートした。
皆と同じだと思っていたが「難聴である事で嫌な思いをされていたんだな」という事に気付いた。
同じ時間を過ごすのが難しくなった。忘年会などのクラスのイベントや、「一緒に遊ぼう」という普通の事が、気軽にできなかった。
裏サイトには「つんぼ…」その他、ここでは書けないような言葉もたくさん書かれた。「つんぼ」の意味を知らず意味を聞いた。
意味を知って、どうしてそんな事を言われなければならないのか解らなかった。
クラスメイトの意地悪に黙さず、手を出した事もある。
その後のクラスの話し合いでは、先生の話も解らなかったし、理解してもらえなかった。
放課後に謝りに行く事になったが、その事も聴こえない事で気付けなかった。スレ違いが多発した。
聴こえないと思って悪口を言っているのを知りながら、聴こえないフリをして笑って過ごす事もある。なんでそんな風に言われるのかと思ったという。
その他、ここでは表現を控えたいような体験もあった。「なぜ」と思わずにいられない話だった。
今でも、自分が良いと思った気遣いが相手にとってはそうでなかったり、聴こえない事で辻褄が合わなくなってしまうシーンがあり、悲しくなる事があるという。
それでもGenGenさんからは「揉まれて強くなった」とポジティブな言葉が出てくる。
* * *
伝わる術、伝える術があったら
このエピソードを、私は本人の気持ちにもご家族の気持ちにもなって聞いた。
イジメの事実を知った時のご家族の気持ちはいかばかりだったか。
腹落ちしない事や理不尽、解ってもらえないシーンは生きている限り避けては通れない。煮え湯を飲むような思いは誰にでも経験があるだろう。
でももし、上手く伝える術があったら。
GenGenさんは上手く会話ができない事で真実を解ってもらえない。
ずっと誤解されたまま理不尽を呑み込んで来たし、そういうシーンがこれからもきっとあるだろう。周囲の理解がない限り。
私は、この「Be One手話歌」の企画で、初めて難聴者さんと出会った。SNSやリモートを通じたGenGenさんの印象は「楽しそうに輝いて生きている人」。接する内に「愛の塊のような人」だと感じていた。
「なんで、こんなに愛情深くて優しいんだろう」
その理由が、今回のインタビューで解った気がしている。
GenGenさんは
つらい経験を、幸せを感じるチカラに変えて
傷ついた経験を、優しさに変えて
悔しい思いを、強さに変えて
不安を、血の滲むような努力でカバーして来た人。
「もっと努力をして、自分を知ってもらわないと」
それでもGenGenさんは「自分の努力が足りない」という。
こうした言葉もインタビュー中に何度も出てきた。
人と接していて「普通の事が出来なくて、聴こえなくてごめんね」と思う事もあるという。なぜGenGenさんが謝るのか、と思うが、その心の動きも解らなくはない。
人は誰も完璧ではないから、人に迷惑をかけることはあるものだが
努力しなければならないのは、聞こえや言葉があっても、
人に煮え湯を飲ませるような人間の方ではないか。
難聴者=「障害者」ではない。「イジメ」は障害ではないのか。
本当の「障害」は、誰のどんな行いなのかと考えずにはいられない。
Interviews and Contributions(取材・寄稿)
yuka (BeOneプロジェクト代表)
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