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私たちの脳は情報を勝手に補完する

ニューヨークで見て感じたこと


アートと落書きの境目

ニューヨーク。アートに触れまくる期間として11月前半に行ってきました。

今まで経験してきた都市との違いは街中アートの多さ。アートとして依頼された作品もあれば、ストリートアートもあり。ストリートアートはいわば落書きです。

ニューヨークで見つけたストリートアート

しかし、その境目はなんなのだろう、と考えさせられる壁の数々。依頼されていなければ落書きとしてひとくくりにされている国、日本に住んでいる私たちの感覚ではなかなか理解するのに時間がかかる空間です。いや、ニューヨークでも落書きは落書きなのでしょうけれど。

バワリー・ミューラルの壁画は現代美術家 松山智一の作品でした

バンクシーという表現者

世界中の壁に依頼されているわけでもなく神出鬼没にアートを描くバンクシー。2000年ごろから活動し始めた彼は正体不明のまま素晴らしいアーティストとしてすでに認められている一方、落書きとして処理する地域もまだまだあります。反権力、反資本主義と読み取れる作品を数多く残しているバンクシー、東京に残したとされる「バンクシー作品らしきネズミの絵」と題される作品は、権力者でもある東京都知事から「東京への贈り物かも」と言われて保護されることになり、その胸中たるは。。。
また大手オークションのサザビーズで落札直後にその絵を裁断という驚きの手法でも話題になりました。

世界一高いバナナ

そのサザビーズでつい先日、ガムテープでバナナが壁に貼り付けられているという作品が9億6千万円で落札されました。現代アートの中でも目を引いたこの出来事、皆さまはどう感じられますか。落札された方はそのバナナは食べると話しています。そこを含めてのアートです。

完全な無音は無い、という気づき

音楽の世界で、ジョン・ケージという作曲家がピアノを開けて音を出すことなく4分33秒後に閉めるという作品を発表したのは今から72年も前の1952年。空間から聞こえてくる音、自分から聞こえてくる音、完全な無音は無い、ということを政治的な部分も絡めて解釈されているこの作品、これは彼がニューヨークにいるときに生まれた作品です。

私たちの脳は足りない情報を勝手に補完する

私たちの脳内ではあらゆる情報が相互に絡み合い、足りない情報を補完しながら自己完結させようと努力しています。

例えばそこに糸が一本落ちていたとき、それを掃除機で吸い取って仕舞えばそれはただの糸屑だったわけですが、それが何かの形に見えたとき、それは脳内で落ちていた糸にアートを吹き込んだ瞬間となります。それが先月まで元気だったペットの形に見えた日にはその糸を動かすことすらできなくなります。

例えば先ほどのジョン・ケージ作品では楽器が音を出さなくなった結果、耳が他の音を探し出すという効果があります。

人々の心の中にその出来事が入り込んだその瞬間にアートは始まります。

現代アート、近代アートとは

アートって難しいよ、わからないよ。
よく聞こえてくる言葉です。

大丈夫です、恐れることはありません。

どの時代にも数えられないほどのその時代のアーティストがいて、そしてその当時の人々はこれらはわからんと思っていたことでしょう。でも、その中のものすごく研ぎ澄まされていたほんの一部の人々の作品たちが後世に残されてきているのです。

出会った作品が後世に残るパワーと研ぎ澄まされた感性で作られているのか、そこを見出し、感じていくのも現代アートの楽しみです。

これからもアートを探る旅は続きます

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大竹広治
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