カサニマロ べんとう の教育論(2021年5月)【2】
さて、前回の続きです。
前回のブログをご覧になっていない方は、そちらからご覧ください。
本ブログから、2.自分の考えや将来像を言語で以て表現できるようにさせる。についてお話していきます。
ちょっと文章書くの疲れちゃったので、少し短めにしていきますね笑
心理学的には、「好きだからやる勉強」と「目標のためにやる勉強」がトップ2で成績と正の相関を示すと言います。
だからこそ、目標設計のために、「考え」や「将来」を言語化するのが大事です。
日本は昔から、「決められる」という歴史をたどってきました。
アメリカの言いなり、ということが多かったのですね。
それ自体が絶対的に悪い訳ではないのですが、事実、その影響もあってか「自分で決めるクセ」を身に付けている人は、子どもにも大人にも少ないのではないかと思います。
たしかに、与えられた課題を指示されたとおりに淡々とこなすのは、根性と気合いがある日本人だからこそできることではあります。
誇るべきことかもしれません。
しかし、実際、ここからの社会では「問を見つける力」「課題を解決する力」というのも重要になるでしょう。
昨今、気候変動や少子高齢化など、日本は他の国よりも厳しい状況に追い込まれています。だからこそ、並みの教育レベルではいけません。
たしかに、現状日本の学力と言うのはかなり高いです。
しかし、社会で役立つような「課題発見能力」「全体を俯瞰する力」「自分で決める、自己決定能力」は育まれていない以上、この点は教育における解決すべき問題だと思います。
とても示唆的な事例として、進学校の高校では、家庭科や保健体育を寝る、という事態が頻発しています。
これは、受験偏重の社会に裏付けされるものでしょう。
…話がまとまっていなくてすみません。
今回のブログはただ、思い付いた順に書こうと思います。上手く汲み取ってください。
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さて、僕は「自分の考えや将来像を文章化・言語化する」のが大事と言いました。
そこで、前回の「文系的知識を広く浅く学び、それを速読・多読・作文の3軸で獲得するべき」という話につなげたいと思います。
前者2つは、実は同じことを言っているのですが、「ササっとたくさん読む」ことにより、まずは全体概観を掴む必要があります。
次に、それらを思い出せる範囲内で、自分なりに文章化してアウトプットすることが重要です。
なぜなら、こういう手順で勉強することにより、「自分の価値観のブラッシュアップに必要な知識を優先的に手に入れる」ことができるからです。
確かに、独断と偏見にまみれた知識収集になってしまうかもしれません。
しかし、個々人の好き嫌い/興味の有無を無視して、ただ最大公約数的に勉強させるというのはいかがなものかと思うのです。
皆が皆、AからZまで、60点の知識を持っていてもどうにもなりません。
「Aは100点だけど、Zは10点」みたいな人が集まり、チームを作ることで、より成果が生まれると思うのです。
さて、英国では、シティズンシップ教育という名で、ジェンダーなど、社会的な問題について学ぶ時間があります。
日本でも、人権教育や道徳教育の中で、そういった教育は進んでいるのでしょうが、もっとそっちに比重を置いてもいいと思うのですよね。
このように、広く浅く学び、言語化するという学びを進めていくことで、将来的にやりたいことや、将来的に解決したい社会問題も見えてくると思うのです。
そして、こういう学びを進めていけば、高校生の時間の圧迫も減るのではないかと思っています。
詰め込み式学習が減るからですね。
時間の圧迫が減れば、将来に想いを馳せる心の余裕も出てくる。
将来に想いを馳せる心の余裕が、自己決定的な将来設計を可能にする。
好循環ではありませんか。
ゆとり教育をしろと言っているわけではありません。
僕は、要するに、暗記式の教育に苦言を呈しているだけなのです(とくに文系科目)。
暗記式学習に限らずヘドが出るのが、「今年の古文は源氏が出るぞ!源氏のあらすじを暗記しろ!」とかいう動きが時たま散見されることです。
僕は、正直こんなの無駄だと思っています。情報に踊らされているだけではないか。
知識偏重の大学入試と資本主義の「悪魔のコラボレーション」が生み出したバグです。
(なので、カサニマロでは、源氏物語を20分とかでまとめた動画を直前にでも出そうと思っています。結局、源氏のあらすじを覚えるというのは「不安を消す」という役割しか無いので)
要するに、速読/多読力・作文力の時代なんじゃないかと思うのです。
都合がいいことに、共通テストの国語や英語で問われているのは、「速読力」です。
熟読的に、一つの教材に何時間も向き合う現代文Bの授業は、個人的に好きですが、速読・多読的側面を取り入れてもいいのではないかと思う昨今です。
そして、言語化能力は、自分の将来像という抽象的な頭の中のモヤを、見える化させてくれます。
さらに、中学・高校で万が一落ちぶれてしまった人も、言語能力があれば学び直しが可能です。
さて、ここまで述べてきたのは
勉強に対する好奇心×言語能力
が、将来を明るくするのではないか、という短絡的な僕の思考です。
ということで、この辺にしておきましょう。
疲れちゃった。