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理不尽な目に遭ったときにイラっとしない方法。「怒りは蛇である」という仏教の教えから学ぶこと

 人間関係で悩みを抱えてしまう人は少なくありません。特に、仕事での上司や部下との関係は、現代人にとってストレスの種となりがちです。
人は生きていくために仕事をして生計を立てなければなりません。そのため、職場での人間関係は避けては通れないものです。避けては通れないものの、できる限り職場での悩みや不安やイライラはなくしていきたいと、多くの人が思っていることでしょう。

 そんな現代人の仕事での人間関係の悩みにも、仏教は役立ちます。2500年以上も前のお釈迦様の教えから、現代に通じる生きるヒントを紹介します。


怒りは蛇だ 

 上司や部下によくイライラしてしまうという人もいるでしょう。実はその怒りの感情は非常に危険なものかもしれません。

 初期の仏教にスッタニパータという教えがあります。原始仏典の中でも最も古く、お釈迦さまが直接、お話しした教えが示されています。

 スッタニパータでは怒りは蛇である!と表現しています。 しかも、ただの蛇ではありません、毒蛇です。毒蛇は最悪、人を死に至らしめる恐ろしい動物です。我々は、そんな毒蛇のような恐ろしさを怒りという感情が持っているということです。

 怒りは毒蛇、思い当たる節がある人もいるのではないでしょうか。なかには怒りの毒蛇を相手に向けてしまったことによって実際に手痛い失敗を経験したことがあるという方もいると思います。

 このように怒りというのは非常に恐ろしい感情なのです。できれば、そんな感情とは無縁で過ごしていきたいものです。しかし、怒りの感情から完全に逃れることができないというのが仏教の考えです。

 我々が怒りの感情から逃れることはできないからといって落ち込むことはありません。重要なのはこの怒りという感情との付き合い方なのです。

怒りとの付き合い方

 仏教では、怒りに対する向き合い方を三つのタイプに分けています。
まず、一つ目は、怒りを感じたら、そのまま言葉や行動に出してしまう人です。このタイプの人は、三流と言われます。

 二つ目は、怒りを感じても、それをぐっと我慢する人です。言葉や行動には出さないものの、内側で怒りをこらえている状態です。この人は、二流とされます。

 最後に、一流とされるのは、怒りの感情が全く表に出ない人です。言葉にはもちろん出さず、顔にも怒りの表情が出ません。

 理想はもちろん一流ですが、この状態に達するのは非常に難しいことです。誰しも、つい怒りが口や表情に出てしまうことがあるでしょう。

 一流の姿を目指して、少しずつでも近づいていくためのヒントをいくつかご紹介します。

犀の角のようにただ独り歩め

 スッタニパータの中にある「犀の角のようにただ独り歩め」という教えは、一見すると難しく感じるかもしれません。

 犀(サイ)は群れを作らず、他の動物と違って集団生活をしません。つまり、犀は孤独に生きている動物です。もし私たち人間も犀のように孤独で生きるなら、人間関係での悩みやストレス、イライラから解放されるかもしれません。

 しかし、この教えが単に「孤独になりなさい」と言っているわけではありません。ここで大切なのは「犀の角」という部分です。

 犀が群れを作らず一匹で生きていけるのは、一本の強靭な角を持っているからです。他の動物に襲われることなく、孤独に生きられるのは、犀がそれだけの強さを持っているからです。

 この教えが伝えているのは、私たちも「犀の角のような強さ」を持った上で独りになるということです。その強さを持つことで、はじめて自分の行動が自分の人生に直結するのです。逆に言えば、その強さがなければ、自分の行動を自分の人生としてしっかりと生きていくのは難しい、という意味が含まれています。 

善友と交われ

 「孤独」という強い言葉を使いましたが、少し補足をします。
スッタニパータには「善友と交われ」との教えもあります。つまり、良い友人や仲間との交友関係は推奨されています。ただ、ただ孤独であれというわけではないのです。

 そして、こうした良い交友関係を築くためにも大切なのが、「犀の角のように独りでも歩める強さ」です。自分が正しいことをしていると、自然と正しい人たちが集まってきます。それと同じように、悪友と関われば、自分も悪い影響を受けやすくなります。

 「犀の角のような強さ」を持つことは、人間関係の悩みを減らすだけではありません。
お釈迦様も、独りで厳しい修行に耐え、悟りを開きました。そして、その正しい生き方に共感した多くの仲間が自然と集まってきました。孤独を恐れず、強く、正しく生きられるなら、善き友が集まってくるのです。

 私たちはつい目の前の人間関係に縛られてしまいがちです。しかし、時には悩みの原因となる対人関係から距離を取ることも必要です。孤独は決して悪いことではなく、「犀の角のような強さ」を持って孤独に向き合えるかどうかが重要なのです。

お釈迦様が亡くなる前に示した教え

 仏教では、自己の強さを求める教えが多く存在します。これは、お釈迦様がご自身の死に際して弟子たちに伝えた言葉にも表れています。

 お釈迦様の死期が近づくと、弟子たちは不安に駆られ、「お釈迦様が亡くなったら、私たちはどうすればよいでしょうか?」と問いかけました。

 この問いに対し、お釈迦様は、「私を頼りにするのではなく、自らを頼りにしなさい。そして、私の教えを頼りにしなさい」と答えられました。これは「自灯明(じとうみょう)」と「法灯明(ほうとうみょう)」と呼ばれる教えです。

 お釈迦様は、他者に頼るのではなく、自分自身(自灯明)と教え(法灯明)を拠り所とすることを勧めました。これが、お釈迦様が最後に残した重要な教えなのです。

 私たちはどうしても、自分以外の他者に拠り所を求めがちです。人の意見に振り回されたり、頼りになる人物に助けを求めたりしまうこともあります。しかし、お釈迦様はその拠り所を、自分自身に見出すことが大切だと説いています。

 皆さんはどうでしょうか?自分以外の誰かに頼ることなく、自分を拠り所にして生きているでしょうか?

 日々の生活の中で、人間関係の悩みが完全になくなることは難しいでしょう。しかし、このお釈迦様の教えは、現代社会を生き抜くための知恵が詰まっているように思います。

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