田舎の小さなお寺が衰退した理由
昨今、地方を中心に廃寺を余儀なくされる小さな寺院が後を断ちません。他の業界と同様に人手不足による後継者問題などが原因と言われますが、それだけではないんです。いま仏教界に何が起きているのか事例をもとに解説していきます。
私は平成11年、師僧の兼務していた天明寺の住職になり、以降天明寺の再生を図りながら、苦慮するお寺の運営をマネジメントすることで、その実績を元に全国のお寺の運営、経営についてもサポートしております。
▪️寺院経営の仕組み
まず前提として、寺院経営における主な収益源は檀信徒からいただく御布施です。その他に檀信徒を多く抱える大寺院にお手伝いにいくことで「御法礼」が挙げられます。
「御法礼」とは葬儀や法事が重なった時に住職の代わりにお経をあげることで謝礼金として贈られるもの、あるいは行事や大きな法要への出向した時の御礼金です
大きな寺は檀家の名簿管理が行き届いていることが強みで、菩提寺と檀家に強い関係性が構築されていることから法要が多く依頼されます。人手不足なども関係していますが、大寺院は忙しい時は小規模なお寺の住職に葬儀や法事を依頼したり、行事を手伝ってもらうなど、互いに持ちつ持たれつの関係を維持しています。
ちなみに天明寺には檀家さんが300人ほどおりますが、この「300人」が群馬では寺院として経営が成り立つ1つの目安になります。副業せずとも寺院の収入だけで維持できるというわけです。
それぞれの寺院は独立した個体ではありません。江戸時代に発せられた「本末制度」の仕組みにより、本山または本寺と呼ばれる大寺が小寺を統制するシステムになっています。天明寺も奈良県にある「長谷寺」が総本山となる真言宗豊山派に属しております。
本来、本山は中央と呼ばれ、各地域に地方本寺、その下に末端の小寺が並ぶといった組織体系です。
かつて、当寺は高崎にある地方本寺の「大聖護国寺」の末寺でした。こうした地方本寺は上納金を中央に納めることで経営を土台から支える「フランチャイズ」のような形態となっておりました。格式ある本山は檀家さんの強い信仰心に支えられている一方で、上納金という形で末寺からも支えられているということになります。
江戸時代に5代将軍・徳川綱吉公の生母である桂昌院が江戸に真言宗の拠点となる護国寺を建立しましたが、その前進となる寺が先に述べた大聖護国寺になります。
桂昌院の信仰もあって大聖護国寺は、庶民は相手にされずに稼ぎがある商人や町人だけが手厚く迎えられた傾向が強かったんです。当寺は大聖護国寺の住職が隠居し終焉の場所として住まいしていた歴史があります。このことからも当寺にも信仰心の強い檀家さんが多く残っているのです。
▪️寺院が直面した歴史的2大問題
従来、多くの寺院は大地主として土地貸しを行なっていました。農家に貸して地代を貰ったり米を貰うことで布施が少なくても生活には困窮しなかったと聞きます。
ところが、明治以降の「廃仏毀釈運動」により寺院そのものの存続が危ぶまれたり、終戦後の「農地解放」により土地が没収されたことで財政基盤を失ったりしました。経済能力の弱体化に拍車を掛けるように都市部への人口移動による地域の空洞化が進行。最近では核家族化が進み墓地を残したままでの都市部への進出が増え、さらには都市部の納骨堂に墓じまいして地元に戻ってこないケースも当たり前になってきました。
群馬に限った話ではないと思いますが、ここ周辺では寺院の境内に墓地が無い場合が多いです。田んぼの脇や山林の近くに野墓地(のぼち)を見たことがある人も多いでしょう。寺院と墓地が離れているのには「殯(もがり)」という古来の葬式儀礼(すぐに故人を埋葬せずに腐敗するまで小屋内で安置するという通過儀礼の一種)が関係しています。
故人の魂が自分自身に入り込むことを避けるために、参拝する寺院と埋葬(当時は土葬)する墓を物理的に離したと言われています。ちなみに、霊柩車が行きと帰りで道を変えるのも殯の名残りとされています。
都市部は土葬する場所が少ないことから、地方よりも早く火葬して納骨するというシステムが一般的になったようです。寺院と墓地が同じ場所にある場合、野墓地と比較すると寺院と檀家の良好な関係値が築きやすいのが特徴です。
人質ならぬ「骨質」と言いますか、墓を維持してもらっている代わりに御布施を納めようという気持ちが檀家さんに生まれる。この意味で、寺院経営には墓が密接に関わってくることが分かります。
天明寺周辺には他の地域から転住して来られた方もおり、どこの菩提寺にも所属していない方を境内の墓地に誘致することで檀家さんを増やしていきました。とはいえ埋葬法(『墓地、埋葬等に関する法律』)の関係で新たに墓地を作ることは簡単ではありませんでした。
「川の近くはダメ」「病院の近くはダメ」など厳格な基準が設けられているほか、首尾よく立地が確定したとしても、半径120mに位置する全ての住民や建物管理者の承諾を得なければいけません。私の場合は1軒1軒お菓子を持って説明に伺い、ゆっくり対話を重ねました。周辺住民の理解の上で成り立った境内墓地ですが、現在は永代使用料として「1.8m×1.8m:45万円」「1.35m×1.8m:30万円」の金額で貸与しております。
▪️寺院衰退の本当のワケ
あくまで個人的な意見になりますが、地方の寺院が衰退してしまったのは寺院側の怠慢が要因であると考えています。
「檀家は御布施を払うもの」「葬儀や法事は檀家が依頼するもの」というお寺と檀信徒との関係に胡坐をかいていたことなどです。
私が手伝いに行っていた横須賀の寺院では「お棚参り」として定期的に住職が檀家さんの家に伺い、お経を読むことを徹底していました。営業マンでいう挨拶回りってところでしょうか。天明寺では私が住職になってから檀家さんとのコミュニケーションを意識的に増やそうとお彼岸に「お棚参り」を始めました。
加えてお盆の時期に合わせて先祖供養や故人の供養のために「施餓鬼法要」も始めました。具体的には、普段からお付き合いのあるお寺の住職6人に来てもらい、1日に2回、2日間にわたり、4回の法要を行いました。
実は都市部の寺院では頻繁に行われていることなんですが、群馬県内で行っているお寺は少ないのです。今年は2日間やったところ計400名くらいの方が参加され、「一度に7人もの住職に先祖供養して貰えて嬉しい」「お寺に来ることが楽しみ」といった檀家さんの声が多く、積極的に地域の方と親睦を深める意義を実感しております。
地方の場合、生活費を稼ぐために平日は会社員として働き、土日だけ僧侶をする二刀流ケースが多いんです。そうなると単純に時間的余裕が少なく、なかなか檀家さんと親密なコミュニケーションを取れませんよね。檀家さんからしても、接する機会の少ない住職に葬儀や法事を頼みたくないと感じる人も出てくるでしょう。これが別の菩提寺に乗り換えるきっかけとなるわけですが、檀家数の減少は減収に繋がりますので一層と副業を頑張ることになる。結果さらに僧侶としての勤めが疎かになるという悪循環に陥っている寺院が多いのではないでしょうか。
時代が移ろいでも人と人との温もりあるコミュニケーションが色褪せることはありません。それを私ども宗教に従事する僧侶が忘れてしまっては…と自戒を込めて日々精進しております。