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【音楽雑記】#49 バブルの始まりとユーロビート・ブーム(1987年①)

バブル景気は、1986年末から1991年初頭の期間を言うらしい。この間の1989年に昭和から平成に年号が変わった。この頃に「バブル」という言葉が日常的に使われていた記憶はなかった。多くの人は株や土地はまだ上昇するし景気はまだよくなると思っていた。
加えていえば、バブル崩壊なんてことも当時は認識しておらず、1991年以降も世の中は浮かれていた。実際「ジュリアナ東京」が開店するのはバブル崩壊後の1991年5月だ。

1987年に映画「私をスキーに連れていって」が大ヒットした。ユーミンの楽曲がバブルを象徴するような感じになっていった。「楽しくなければテレビじゃない」のスローガンを掲げた河田町のフジテレビが勢いを増し、銀行・証券や広告代理店が人気職種になった。

そして全国でディスコがブームになった。ディスコで当時流行していたのがユーロビートだった。代表的なアーティストとして、デッド・オア・アライヴ、リック・アストリー、カイリー・ミノーグ、バナナラマ、マイケル・フォーチュナティ、、。邦画でも、カバー曲やユーロビートのオリジナル曲が多数つくられた。

リック・アストリーは「リックアストリー & 声 & 顔」で検索すれば分かる通り、童顔ルックスと野太い声のギャップが当時も話題になっていた。

この頃からのダンスミュージックの流れは、その後のJ-POPに大きな影響を与えた。ユーロビートのブームがなければエイベックスは今の形で生まれてかなったろうし、小室ファミリーも生まれなかったかもしれない。

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